スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2025年10月15日 (水)

「こんな下手なFW見たことがない・・・」そう酷評したブラジルに決勝ゴールをたたき込んだ上田綺世 すべてはブラジルから始まった 

 森保監督はブラジル戦後の記者会見で「(その話は)今、言われるまで忘れていましたが、日本代表の大事な歴史ですね。思い出させてくださってありがとうございます」と質問に答えた。監督が代表を率いて最初の国際大会出場をした2019年の南米選手権(ブラジルで開催のコパアメリカに日本は特別枠で招待された)の際の話である。
 当時、Jリーグの日程、A代表の選手たちのスケジュールがうまくかみ合わず、日本協会と監督は熟慮し(延期前の20年に開催される予定だった)東京オリンピック世代を派遣した。大学生として史上3人目の代表選出となった上田綺世はその1戦目、チリ戦に出場。期待値をたっぷり背負ったが、決定的な場面を含むゴールチャンスをことごとく外しとても厳しい代表デビューを味わった。
 伝統のコパに五輪世代を送り込んだ日本への批判もベースにあり、翌日のブラジルメディアは「こんな下手なFW・・・」といった辛らつな表現で上田をたたいた。森保監督はまだ大学生だった上田を尊重するため日本のメディアに言った。
 「同行していつも取材してくださっている皆さんが自分自身やメディアの意見として、上田を、代表をどう評価してもそれは当然の仕事です。でもブラジルメディアがこう酷評している、となるのは納得できません」と、意外なほど強い言葉を投げかけた。サッカー王国で誇りをかけた南米選手権に出場したのだから批判など当然。監督はその厳しさも選手に味わってほしかったはずだ。しかし、伝聞での広がりは大学生にとって違った結論に一人歩きする場合もある。若い世代が挑む初の大舞台でそれを注視したのだろう。

 上田はもちろん相当がっかりしていた。しかし当時、トレーニングで取材すると「せっかくコパアメリカに出場できたんですから批判だって大会の一部だと思っています。それにやっぱり決めなくちゃFWじゃないし・・・」と、’洗礼を’笑って受け止めていた。
 14日の夜、6年前酷評したブラジルメディアの前で、上田は磨き続けたヘディングで決勝ゴールを叩き込んだ。
 上田は法政大スポーツ健康学部卒業で私の講義を取っていた。14日も「スポーツ取材論」の講義があり、学生に「スポーツの取材が面白いのは、点が、いつか線になる瞬間を見られるからだと思う」と、上田のデビュー戦とブラジルメディアの話をした。そして「今夜のブラジル戦であの酷評で始まった‘点’が’線’になるかもしれないので楽しみにしている。試合でもニュースでもいいので先輩の姿、コメントを聞いてほしい」と、巡り合わせのゲームに課題を出した。
 試合後のミックスゾーンではコパの話は出ず「ブラジルに勝って自信にもなるし、W杯への情報にもなったと思う。でも一喜一憂し過ぎず目指すW杯優勝に向かって課題克服とチャレンジの連続だと思う」と冷静に話したという。
 自分がどこに向かって足を踏み出したかも分からない「点」が、献身的な努力の継続で見つけた点と繋がり力強い線に変わる。
上田の決勝ゴールに「忍耐の旅」ともいえるスポーツの厳しさと醍醐味の両方を改めて見た気がする。
 15日昼、成田空港からリーグを戦うオランダに戻った。成田には行けなかったが「上田は元気に飛び立ちました」と関係者に聞いた。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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