スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2025年9月14日 (日)

ウルグアイに史上初のメダル(銅)をもたらした女子マラソンのパテルナイン 「えーーーーー私が3位?」ゴール後メダル獲得を知り絶叫 

 ウルグアイのサッカー代表なら「セレステ」(空の色)と親しまれる国旗のブルーのウエアをまとった ジュリア・パテルナイン(25)が女子マラソンのゴールにたどり着いた時、金メダルのジェプチルチルと銀メダルのアセファがゴールして2分半以上差がついたためにトラックには彼女1人しかいなかった。観客から大きな拍手は受けたものの、ウルグアイ初のメダルという華々しいゴールを飾る大会のロゴ入りリボンがセッティングされておらず、ジュリアは一瞬、湿度が80%を超えた過酷なレースを走り切ったのかどうか、熱中症の症状で記憶がシャットダウンしているのではないか、と頭のなかが大混乱していたと明かす。
 「ここで終わり?本当に?」と周囲の係員たちにたずね、「私は何位なの?」と自分の順位を聞いている。順位が分からないなんて、それも追い上げての銅メダルなのに、と思うが、暑さのなかでの混乱はよくあるケース。まして狙っていたのは出場者の半分より前でゴールする順位、つまり30番以内のあたりだったというから「3位」と聞いた時、「えーーーーー、私が3位!」と絶叫し、3つの指を見せて信じられない!と誰より驚いていた。マラソンはこのレースが2回目という。
 ユーモラスなゴールで母国に初のメダルをもたら
してから50分後、ジュリアは取材ゾーンで歴史的なメダルを祝福する各国の記者に迎えられインタビューようやく始まった。
自分がどこにいるのか全くわからず、(後方に)捕まりたくなかったので、怖くて後ろを振り返ることができませんでした。暑さと疲労で脳が正常に働いていない、と思いゴールで順位を確認したら、3位と言われてまた混乱してショックを受けています」と、英語、スペイン語、また英語と言葉も次々と交えた答えに取材陣から笑いが起きた。
 経歴もユニークだ。ウルグアイ出身の家族のもとメキシコで生まれ、ケンブリッジ大学教授の父と一家でイギリスに移住。高校までイギリスで教育を受けた後、米国アーカンソー大に進んで陸上部に所属した。現在はアメリカ在住で今年1月、ウルグアイ国籍に変えるまでは英国代表としていくつかのレースに出場している。
 「ウルグアイは小さな国ですが私たち国民は大きな誇りをもっています。そしてウルグアイを代表できる今大会は私にとって大きな意味がありました。メダルを家族、そしてウルグアイの皆さんと分かち合います」
 ジュリアはパスポート3つと、グリーンカード(永住権)3つを持っていると笑った。会ったことなどないアスリートの話に、知らない記者たちと笑う。高温多湿のミックスゾーンで。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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