スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2025年8月 3日 (日)

8年ぶり9秒台の29歳桐生と、33の飯塚の異例のベテラン’コラボ’が生んだ新境地「ベテランって結構忙しい・・・アレコレ始めちゃうんです」飯塚

    「ベテランって結構忙しいんです、現状維持が嫌だからアレコレやり始めちゃう」13年連続20秒50突破の飯塚翔太 

 200㍍で午前の予選、決勝2レースをうまくまとめて20秒45で優勝した飯塚翔太(ミズノ)が取材の輪が解けた時、ふっと笑いながらこう言った。何だか楽しそうに。この記録で2012年以来13年連続で20秒5を切りを達成。「ちっちゃい記録なんですけれど・・・」と控えめに言うが、5大会連続6度目の世界陸上出場へ33歳は綿密なプランを立てる。

 この日、30歳目前の桐生が自身の9秒台では8年ぶりとなる9秒99をマーク。世界陸上の参加標準記録(10秒00)を突破する記録で、桐生は日本選手権で優勝しているため世界陸上の選考レースでも一気にトップに立ち4度目の世界選手権出場を確実にした。
 世界陸上の標準記録突破を狙って開催された大会で、桐生と大学生の守(大東文化大)、400㍍では中島佑気ジョセフ(富士通)が44秒84(参加標準44秒85)の3人が目標通り参加標準記録を突破し、女子200㍍では井戸アビゲイル風果(東邦銀行)が福島千里の記録を9年ぶりに塗り替えて22秒79の日本記録を樹立。収獲の大きかった一日で存在感を放ったのが、29歳の桐生と33歳の飯塚だった。

 2人は今冬季から、桐生の上京を機に「ほぼ9割」一緒にトレーニングをしている。100㍍と200㍍、さらに飯塚はミズノに所属し、桐生はアシックスの契約下にいるのでライバル会社としても異例の試みだ。飯塚はスタートからダッシュのスピードが欲しい。桐生に引っ張ってもらうトレーニングで鍛え、逆に桐生は長い距離を走り切る持久力が欲しいので飯塚に付いて300㍍走にも取り組んだ。互いが補いながら、プラスするコラボレーションががっちりかみ合った。
 ベテランだから相手の長所に引っ張られてしまうミスもしない。「色々取り入れるけれど、最後のところで自分は揺るがない。それがベテランのいいところです」と飯塚は明かす。
 「現状維持が嫌だから」なのか、桐生も飯塚が表現した「アレコレ忙しい」毎日に、8年ぶりの9秒台のための牙を研いでいたようだ。
 ギア(道具)を変えるには何より勇気が必要だ。まして、陸上はスパイクしか使えないうえ、薄い底のスパイクから厚底のスパイクとなればコンセプトも、そこに乗せる技術も180度変えなければ適応できない。桐生は昨年からそれに取り組んだという。
 「(家の中で履く)スリッパも、私用のシューズも全て厚底にして徹底的に厚底に慣れる。最初はスリッパや(競技とは違う)普通のシューズも慣れないのですぐに疲れ、ふくらはぎが痛くなったんですけれど(レース用以外で)10足、力の使い方とか覚えて・・」
 実績も技術も十分のトップランナーが「アレコレ」やり始める。それもその変化を心から楽しみながら。桐生がタイムと同じにこの日見せた軽やかさが印象に残る。

  「桐生の9秒99で目が覚めました。50㍍は意地を感じましたね」と、飯塚も大きな刺激を受けたようだ。この日標準記録突破はならなかったが、世界ランキング上位へ食い込んでの出場に可能性をかける。「出られると信じて祈りつつ・・・」8月中旬、福井で行われるタイムレースにも出場予定だ。
 高校時代から短距離をけん引してきた桐生に「自分がベテランだと感じるのはどんな時か」聞いた。桐生は茶目っ気たっぷりに言った。
 「(レース前の)招集所で、自分が一番上になった時」8年前の9秒台とはアプローチも内容も喜びも違う。
 最初の9秒台が100㍍を駆け抜けた数字だったとすれば、この日2度目の9秒台は人生が生みだした記録だった。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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