スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2021年11月28日 (日)

大分に続き、J1からJ3への降格クラブとなった松本、名波監督が「この経験を活かさなければ・・」と選手に伝えた真意とは?

 相模原との引き分けで試合が終了した時点では、J3降格が「事実上」決まった状態で、松本山雅FCの名波浩監督のインタビューが始まった。2019年6月に、J1最下位(18位)の責任を取って辞任、退団して以来2年ぶりの監督要請に、名波氏は松本の監督就任時「光栄で、有難い」と、心からの思いを吐露していた。現場が生きる場所だと、空白の2年が教えたのだろう。シーズン途中で低迷するチームの再建を託されて監督に就任しながら、結果的に浮上させられず、クラブは大分に続き、史上2クラブ目のJ1からJ3に降格する結果となった。
 「クラブ、フロント、選手たちに責任は一切ありません。自分がやったゲーム数、トレーニングに携わった時間。(途中からであるとか)そういうことは関係なく、現場の長として責任を強く感じています。もうちょっとあのタイミングでできたなとか、続けたほうが良かったなとか、そういう後悔は小さいがたくさんあり、それが大きな結果につながったのは事実だと思います」と、金沢対山形の結果が出る前に自らの責任を口にした。
 終盤に入って松本の試合を数試合取材したが、最下位で勝ち点1を積み上げるのが精いっぱいという状態で降格のプレッシャーと戦うのは選手にとって並大抵ではなかった。どのクラブも同じプレッシャーだとしても、だ。そして相模原戦では、ラストに同点に追い付いた直後、自分たちでゴールからボールをかき出してセンターラインにダッシュした。本当の意味で「戦う」とは、激しさや劇的な勝利ではなく、そんな細部の積み重ねにしかない。
 日本代表の厳しい試合を幾多も経験してきた監督も、J3に背中を掴まれる経験で、これまでとは別の次元の厳しさを味わっていたはずだ。試合後、「僕自身もプレッシャーとの闘いのなか、押し潰されるものかと気持ちが張っていましたが、やはりどこかで不安なものがチーム全体に伝わってしまったのかなという後悔は多少あります」と明かした。
 ロッカーでは、「(カテゴリーは違うが)こうしたビッグマッチの経験を活かさなければきょうという日の意味がなくなる、と試合前も選手に伝えました」という。きょう28日は監督の49歳の誕生日。この言葉は、選手に対してであり、同時にこれから1年、J3で新たな思いで松本と戦う、と、節目に決断した自分への叱咤だったようにも聞こえた。
 困難を前に、背中を向けるフットボーラーではなかった。どんなに厳しい試合でも前にパスを送り、這い上がって、展開する。そういうフットボーラーが、ここで松本を去るのは想像できない。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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