川崎・中村憲剛 バースデーゴール翌日、今季限りの引退を発表 昨年の前十字じん帯損傷から復帰を果たした充実感漂わせ
1日=オンライン J1川崎Fの元日本代表MF中村憲剛(40)が、川崎のユーチューブ公式チャンネル上で「今季限りで川崎フロンターレを引退します」と、川崎一筋のまま、現役を引退すると発表した。40歳の誕生日となった前日の10月31日には、ホームのFC東京戦で決勝ゴールを奪った後の記者会見で、「言語化が難しい」と、どんな試合でも状況でも言葉にするのにも長けた選手が「言語化できない」と言ったのは印象的だった。奇跡のようなゴールの感激だけではなく、引退を決意している複雑な心境から生まれた言葉だったのだろうか。
中村は「正直ホッとしている。いつかはこの言葉を言う日が来ると思っていた。チームメートには今日伝えて、すっきりしている」と晴れやかな表情で引退決断の心境を語った。日本代表として、2010年南アフリカW杯(岡田武史監督)に出場。国際Aマッチ68試合出場6得点、川崎では16年に史上最年長となるJリーグ最優秀選手賞(MVP)に輝くなど、日本サッカー界をけん引し続けてきた。
決断については、「30歳を過ぎた時に、1回35歳まで頑張ろうと。35歳の誕生日を迎えた時に、妻と(話して)40歳というところで区切りを付ける、目の前の1年、1年を勝負に頑張ろうと思っていた」と説明した。昨年11月の広島戦で、39歳にして左膝前十字靭帯を損傷する重傷を負った。これも自身にとって、強いモチベーションとなったようだ。「40で終わる終着点が見え、リミットを決めていた中で前十字を切った。復帰した姿を見せて、前例のないものを見せる」と実証した自信、プライドが悔いのない決断につながったようだ。
中大4年の時に練習参加し才能を認められ、プロ入り(背番号は1年目のみ26で、2年目から14)。関塚隆元監督に攻撃的MFからボランチにコンバートされ、広い視野と冷静な判断力を生かしてJリーグを代表する選手に駆けあがった。
06年、イビチャ・オシム日本代表監督から初招集され、同年10月4日のガーナ戦で国際Aマッチデビュー。J1通算463試合74得点、J1歴代2位となる16年連続得点も記録している。鬼木達監督には先週引退を伝えたと会見で明かした。監督も31日、試合後の会見で、「日々の努力を積み重ねたケンゴのような選手が、(自分に)華を添えられる」と、重みのあるコメントをしていた。