スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2024年9月18日 (水)

追悼 59歳で死去90年イタリアW杯得点王スキラッチが語っていたゴールの極意「私の瞬間を掴まえる」磐田での写真に囲まれていたシチリア島のスクール

追悼 「トト」スキラッチが愛したジュビロ磐田

BBC News (World)は先ほど、 Italy's World Cup icon Schillaci dies aged 59 (bbc.in/4db0HPq) と、Jリーグジュビロ磐田でもプレーをしたサルヴァトーレ・スキラッチ氏がイタリアで死去したと伝えた。59歳だった。
 2002年の日韓W杯前、当時「Number」(文芸春秋)のストライカー特集の取材でイタリアのシチリア島にまでインタビューに行った。トトは、90年のイタリアW杯で母国のメンバーに選出され、グループリーグで主力の不調で先発に起用され、高い技術と強運で大会7試合で6点をあげて得点王となった。
まるで強烈な光を放つ彗星のようなスピードと刹那の輝きで見る者を魅了したストライカーである。せん光はきっとサポーターの目にも焼き付いているだろう。

 シチリア島のパレルモにある「サルヴァト―レ・スキラッチ、サッカースクール」は、天然芝のピッチが2面、フットサル用のコートも完備。5面を持ったスクールの芝は、取材に行った初夏、一年でもっとも美しい季節を迎え、照明に輝いていた。一番下は3歳から高校生まで約600人が通うスクールは島でもっとも人気を集めており、ピッチ中心に、90年イタリアW杯、7試合で6ゴールをあげて得点王となったスキラッチがスクールという夢を叶えたピッチ全体を見回すように立っていた。
 二人三脚で経営にあたる父・ドミニカさんにも話を聞いた。未熟児で生まれ、身体は他の子供たちよりも小さく、家も決して裕福ではなかった。子供の頃から無口で、寡黙で、コーチの言うことは何でも素直に聞き入れた。「わかったかい?」と聞かれると、返事をする代わりにゴールを奪ってみせる、そんな子だったという。
 ジュニアクラブに所属し、負けん気とスピードは誰にも譲らなかったが、とても細い身体を仲間には茶化された。プロになれるとは思わずパレルモの地元アマクラブでプレーをしながらタイヤの修理工を目指した。
 ドミニカに、「W杯の得点王になれるよう神のご加護を、とお祈りしましたか」と聞くと大笑いした。
「W杯で得点王になるなんて話は祈ってどうなるものではない。何しろ私たち家族は、あの子がW杯の代表に呼ばれたと聞いて、ベンチに座る様子を見られるだけでも何て幸せなんだ!と飛び上がって大喜びしたんだから」
 スキラッチは、サッカー選手としてゴールゲッターとしてピッチには「私の瞬間」がやってくる、と言った。「私の瞬間というような一瞬が、W杯には存在する。もちろんいつものピッチにも。これがDFとは違うところだろう。DFはもっともっと継続的に物事に取り組まなくてはならないし、W杯のような舞台で失点は許されないものだ。けれども私たちアタッカーは彼らの忍耐とは違う、忍耐を常に携えて瞬間を生き抜くのです。世界中の鉄壁と向き合い、メディアやファンたちの強いプレッシャーと向き合い、そして、私の瞬間を絶対に掴まえなくてはならない。なぜなら、今のサッカーでは、たとえ過去のどれほど偉大な得点王でさえ、簡単にゴールを奪えるような守備ではないからだ。チームとして持てるチャンスなど、1試合で本当に3回あればラッキーなほうだと思う」
 こんな話を惜しみなく聞かせてくれた。
 クラブハウスには不思議とイタリア代表での写真はなく、1994年から97年まで在籍したジュビロの選手たちとの写真がいくつも飾ってあった。
「みんな元気にしているか?本当に大好きなクラブ、素晴らしいテクニックを持った選手たちとプレーできて最高に楽しかった。キャリアの終わりにサッカーをまた学べた気がする。感謝している」そう言って写真を指でなぞった。
 スクールを成功させ、タレントとしても活躍したという。少し前に患っていた病気で体調が急変し緊急搬送されたと報じられていた。
「私の瞬間」を掴み続け、Jリーグで通算78試合56点。心からの冥福を祈って。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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