スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2024年9月29日 (日)

日本サッカー殿堂にアルベルト・ザッケ―ロー二元日本代表監督が掲額 「もしもう一度あのチームの采配ができるなら・・・」ザック氏が選んだのはあの試合 

 29日=JFAサッカー文化創造拠点blue-ing!  日本サッカー協会第20回日本サッカー殿堂掲額式典が行われ、掲額者として2014年ブラジルW杯で日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニ元日本代表監督(71)がイタリアから来日し「いつも日本では大変な歓迎を受けて来たが、まさかこれほど(殿堂入り)とは・・・日本での4年間は人生最良の4年間だったと言ってもいい」と自らの肖像が入った額を手にして感慨深げにスピーチをした(過去の掲額者は91人、3チーム)。

 式典中には、14年W杯前、本田圭佑、香川真司、岡崎慎司、長友らが躍動する試合シーンが映し出され、ザックさんは嬉しそうに画面を見つめていた。当時、史上最強と呼ばれ、「W杯で優勝する」と公言した選手たちを「本当に素晴らしいクオリティと団結心を持った私の選手たち、私のチームだった。ただ・・・・」と、もっとも印象に残っている試合をあえて「ブラジルW杯の初戦、コートジボワール戦」と敗戦をあげた。自信にあふれているかに見えた選手たちも、本当はどこかで不安やメンタルでの課題を抱えており「自分の後悔として、私がもっと声をかけ選手たちにさらなる自信を持たせるべきだった」と、穏やかな様子で振り返った。
 9月の日本代表戦で撮影された長友佑都(FC東京)、長谷部誠もビデオメッセージを寄せ、長友は「ザックさんは父親のような温かい心で見守ってくれた」と、イタリア移籍を強く後押ししてくれた「恩人」に感謝の気持ちを込めた。
 ザックさんは昨年、チェゼーナの自宅で転倒して一時集中治療室で予断の許さない状態と報道されたが今はすっかり健康を取り戻し元気な様子で、教え子の試合を含めサッカー観戦はするが「コメントはしないようにしている」と笑った。現在の日本代表の躍進にも「アジア予選とW杯は全く違う。全員がW杯で勝ちたいと本気で思うように毎日、その気持ちを大きくしていくことが大事だと思う」と、アドバイスを送った。
 外国籍での日本代表監督の掲額者は、1964年東京五輪でプロとしも初めて就任したテッドマール・クラマー氏、94年アメリカW杯へ向けて最終予選で「ドーハの悲劇」を経験したハンス・オフト氏、2002年日韓W杯を率いたフィリップ・トルシエ氏、06年ドイツW杯監督のジーコ氏、病気のため途中で退任することになったイビチャ・オシム氏に続き6人目となった。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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