スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2024年8月20日 (火)

パリ五輪銅メダルの総合馬術「初老ジャパンが存続の危機」に 大岩主将、戸本、北島、田中4人揃っての対談明かす 「交代の減点は(20点ではなく)100点だと・・・」逆転銅メダルの秘話も

20日=都内・オリンピックミュージアム パリオリンピック総合馬術で日本として初のメダル獲得の快挙を果たした(銅メダル)「初老ジャパン」、大岩義明、戸本一真、北島隆三、田中利幸の4人が揃ってオリンピックミュージアムを訪れ、パリ五輪で戸本が騎乗した「ヴィンシーJRA」のゼッケンにサインを入れた寄贈品を贈呈し、4人による「トークショー」が行われた。今まで注目されにくかった競技が、「初老ジャパン」のネーミングとともに大きな注目を集めているが、一方で初老ジャパンがメダル獲得と同時に「存続の危機にある」と、それぞれが思いを吐露した。
 JRA(日本中央競馬会)所属の戸本一真はパリ五輪後には世代交代のために帰国する派遣となっており、「パリの後帰国して、札幌で誘導馬の仕事などをしたが、競技に関しては9月に完全に帰国するようになっている」と、会社員としての立場を説明した。
 北島と田中はともに「乗馬クラブクレイン」(大阪)に所属しており、出社し銅メダルを報告した際、会長から「これからどうするんだ?」と聞かれ、「ロサンゼルスまで頑張りたい」と返答。「パリまでと同じようにロスまではサポートして頂けそうです。ただし若手に負けたら帰国するという条件です」と、4年後に明るい見通しが立ちながら一層の競技力向上を条件とされている。
 最年長48歳の大岩は、ドイツからイギリスに拠点を移し活動してきたが、愛馬が16歳と年長で4年後まで競技を続けるのが困難な年齢となる。「パリでメダルが取れなければもう馬術でメダルを取ることもないし、4人が揃うのも最後。もともと(初老ジャパンとしては)ここで解散と決まっていた。でもこの銅メダルで(戸本選手や自分の困難な)状況が変えられるかな、という思いはあった」と、銅メダルに込めた自身の率直な思いも告白した。
 所属企業からの支援、スポンサー、1回の遠征で数百万円はかかる遠征費用や環境の整備は想像以上に難しく、日本で馬術競技の普及や強化が進まない根本的な理由でもある。大岩は、「この4人が全員ヨーロッパに残れば、ロサンゼルスに向かってベストだと思う。今は今後について見極めたい」とし、欧州のようなオーナーの存在、スポンサーの支援、ファンの発信などを今後呼びかけるといった活動を続けていく。

       「減点100点だとばかり思い、トボトボと帰っていたら・・・えーッそうなの?!」(戸本)
 
 百戦錬磨の4人も実は大きな勘違い、といっても、うれしい勘違いだったようだが、計算間違いをしていたと驚きのエピソードを明かした。「(2種目終わっての人馬の)交代の減点は100点だと思っていました。もうメダルには届かないと思ってトボトボと歩いていたら、ほかの国の選手たちに、いや、そんなはずはないから調べてみたほうがいい、と言われ確認してもらったらマイナス20点だったんです」と笑い、自らの馬を尊重し2回目の視察をキャンセルして交代を選んだ北島は「実は(その判断があって)交代した田中選手にがメダルが与えられて、4人全員が銅メダルをかけられることになりました」と喜びの「ナイスジャッジ」を説明。100点減点を覚悟して棄権、それが一転、減点は20点で、まだメダルには十分届き、さらに交代しなければもらえなかった4つ目の銅メダルにつながったと、思わぬ展開を興奮した様子で披露した。
 「
私は20年、ほかの3人も10年欧州で一緒にやってきて、誰か1人がリザーブなるのは本当に辛かった。それが終ってみたらメダルは3から4個。何よりもうれしかった。マイナス20点でもメダルに届いたのは、日本は強かったということです」(大岩主将)銅メダルに、さらなる重みと輝きを与える秘話だった。

 

 

 

 

[ 前のページ ] [ 次のページ ]

このページの先頭へ

スポーツを読み、語り、楽しむサイト THE STADIUM

増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

最新記事

カテゴリー

スペシャルインタビュー「ロンドンで咲く-なでしこたちの挑戦」