ラグビーW杯日本代表に帯同する西シェフ 男子はカレー、女子はキムチ鍋、ラグビーW杯での勝利飯メニューは?ラグビーの食を支える帯同シェフの仕事
7,8月サッカー女子W杯大会中、現地ニュージーランドで西芳照シェフと、西さんの後継者と期待され女子W杯期間中に一緒になでしこジャパンのサポートとして付いた中原剛シェフ(J3今治でTOPチームの食事をサポートする)2人が、朝6時に準備が始まる慌ただしい準備の合間に記者の囲み会見にていねいに応じてくれた。
女子は1次リーグを全勝で突破して準々決勝に進出。西氏と中原氏は「それが(結果が出て)本当に何よりの励みですから。先ずは一安心です」とほっとした表情を浮かべ、真っ白でパリっとノリのきいたコックコートでゆっくりと席についた。
西さんは、06年ドイツ大会から昨年のカタールW杯まで5大会連続で代表シェフを務めた代表の「顔」ともいえる存在。男子代表からは引退したが、昨年1月のインド・アジア杯に続く女子の帯同を快諾、そして現在、初めて他競技の代表チームのシェフに就任しラグビーフランスW杯で連日腕をふるう。福島県南相馬市出身で福島のサッカーナショナルトレーニングセンター「Jビレッジ」で総料理長に就任し、04年から日本代表の専属シェフとなった。
W杯オーストラリア・ニュージーランド大会は初の南半球での開催となり、季節は真冬。中でも2試合目のコスタリカ戦が行われたダニーデンは、今回の開催地ではもっとも南(が南極に近くなるので寒い)に位置した。ドーム型のスタジアムとはいえ気温は10度を下回っていた。西さんはここで、選手たちの体と心を「温めて」もらおうとキムチ鍋を振る舞った。「食堂に入って来るなリ選手たちが、わー!と声をあげ鍋に拍手しました」と、嬉しそうに明かした。「少しでも暖かななかでワイワイやって欲しいと思いました。今回は、チャーター便を使ってニュージーランドに入れたので急きょ‘鍋’とカセットコンロを買って積み込んだのでここで(鍋を)使えて良かった。選手たちが楽しそうで、美味しそうで、こちらも嬉しくなりました」
佐々木則夫女子委員長も「笑い声が絶えない本当に楽しい食卓でした」と話していた。
大会中、しゃぶしゃぶや豆乳鍋も提供した。スウェーデン戦に敗れて解散する前夜、最後のメニューにはすき焼きを加えた。
男子のある代表選手がこの記事を読んで「僕ら、鍋なんて出たことないんだけれどなぁ・・・」と、羨ましそうに笑っていた。西さんは「女子は、(材料に)何を使っているんですか?どうやってこんな風に作るんですか?と色々聞いてくれるので個人的にはものすごくやりがいがありますね。男子は、基本的に肉を食べていれば満足なんですよ」と笑った。
「(女子は)貧血だけにはならないように、鉄分の補給には気を使いますね。ほうれん草、レーズン、ドライフルーツ、プルーンなどを鉄分表示と共に出しています。ひじきの煮物や切干大根などは(男子と違って)皆さんとても喜ばれますね」(西さん)
ラグビーの選手たちにも、男子は肉料理を、女子に鉄分を、と気を使ったのと同じに色々と作戦を練っているのだろうか。
サッカーの日本代表が初めてW杯に出場を果たした1998年フランス大会、シェフが初めて代表に帯同した。日本代表の食とシェフの関係はそこで始まった。当時の野呂幸一シェフ、鈴木善之シェフ、栄養士でただ1人女性のスタッフとして全メニューを考えた浦上千晶さんの3人は、ホテルの心臓部ともいえる調理場で初の国際舞台、完全アウェーの戦いを強いられるなか困難な仕事をやり抜いた。
包丁の刃を傷められたり、日本特有の調理道具(ざるなど)がなくなってしまったこともある。3人はそんななか、初出場で懸命に戦う選手を励まそうと、肉じゃがやサバの味噌煮と普段のおかずを出してくれたのを選手もよく覚えている。
フランスからスタートした日本代表の食を支える任務が、今度はラグビーで、再びフランスで始まった。野呂さんは、2018年、フランス大会から20年経過した際のインタビューで「とにかく衛生を守ることが最大の任務で緊張しました。全日程を事故なく終えて、初めて口にしたワインのおいしさを今も忘れられないです」と懐かしそうに話していた。西さんもきっと、メニュー以前に緊張の日々なのだろう。