スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2022年12月 5日 (月)

ゴンちゃん(中山雅史氏)と森保監督の握手と笑顔  ベスト8の新しい景色は・・・「きっとブラボーな景色」吉田主将

午後2時からの会見を終え、午後4時半からの練習に急いでキャンプ地に戻ると、いつも通り、選手より早めにピッチに入ってスタッフが行う様々な準備を確認している森保監督がいた。練習開始の30分前にピッチ入り、そんな光景を1人ぼんやり見ていると、監督が声が届く距離まで歩いて来て、雑談をした。そして「監督、きょうはゴンちゃん(中山雅史氏、55=J3沼津監督)が練習(取材に)いらっしゃるらしいです」と伝えると「本当ですか?」と言った。
 
 スペイン戦後の2日、選手は完全休養日となり、家族、友人たちと会い、自由な時間を楽しんだ。一方監督はこの日、1時間近く、記者たちの取材に対応した。表情は明るかったが、目は赤く、目の下は少しくすんでいる。「監督のお休みは?」と聞くと、「宿舎でずっとビデオを観ていました」という。ドイツ、コスタリカ、スペインが揃うグループリーグをたとえ首位で抜けても、まだ目標のベスト8に届いていない。ベスト8をかけて対戦することになったクロアチアは、前回ロシア大会の準優勝国。もちろん信頼するスタッフと、F組のどこが対戦国となっていいよう準備はしたに違いない。「泰然自若」をモットーとする人だから、落ち着いている。でも、慌ただしい。監督とはいえ、少しは安らぎ、心からの笑顔を浮かべられるような瞬間があればいいのに、とふと思った。

  中山氏は「(森保監督に)気を使わせたくないから」と、あえて監督の視野に入らないようピッチの隅に立っていた。冒頭20分で公開練習が終了しようという時、監督は背後に立っていたゴンちゃんに駆け寄った。きっと練習中にも広い視野で、来ると聞いた人を見つけていたのだろう。年齢も1つ違いの2人は本当にうれしそうに、力強く握手をして、何か声を掛け合い、心から笑っていた。W杯が始まってから初めて見た、監督の顔だった。一瞬の休養だったのかもしれない。

 悲劇の場所を30年後、歓喜や、2度も奇跡が起きた場所に変えた森保監督と、「ここ(W杯)に来られなかった(ドーハの悲劇や困難な時代を知る)人たちの顔を思い浮かべたら、痛いからピッチを去るなんて絶対にできないと思った」と、98年フランス大会ジャマイカ戦でゴールした後腓骨骨折し、試合終了まで走り切った「日本代表の魂」である中山氏。日本サッカーを30年間、引っ張ってきた2人が、ピッチの隅っこで見せた特別な瞬間だった。
 「どれだけ大変だろうね。きっと孤独だ」ゴンちゃんはつぶやいた。


 クロアチアとはW杯で過去2度対戦している。最初の98年の2戦目、酷暑の中で日本は後半、中田英寿のロングパスをゴンちゃんが代表の技術系たちも絶賛する技ありのトラップ。ビッグチャンスを作った。しかし枠をとらえたシュートはGKに防がれた。「いつも通り、シュートをダフっていれば入ったのに・・・ってみんなに言われたよね。あまりにいいシュート過ぎて」今もそんな風に笑う。この時は0-1で敗戦、06年のドイツ大会でも2戦目で対戦して0-0の引き分け、そして今回は・・・「3度目の正直で勝つね、絶対」と言って、クロアチアの練習取材に向かった。

 ベスト8にはどんな景色が待っているだろうか。練習を終えた吉田麻也主将に聞くと、こんな答えをくれた。
「うーん、すみません。気の利いたことが言えなくって・・・でも・・・きっとブラボーな景色じゃないですか?」

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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