スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2022年12月30日 (金)

闘病中のサッカーの王様ペレ82歳で亡くなる「サッカーはいつものように魅力的に物語を続けている」W杯カタール大会中もサッカーと共に  川淵三郎氏追悼「Jリーグ開幕戦でハグしてくれた」追記 日本サッカー協会田嶋会長、日本代表森保監督コメント

 サッカーの元ブラジル代表で「王様」として世界中で親しまれてきたペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)氏が29日、サンパウロ市内の病院で死去した。82歳だった。医師団によれば、死因は大腸がんの進行などによる多臓器不全。
 今月のカタールW杯中には入院中の病床からSNSで投稿を続けた。開幕前には愛するセレソン(ブラジル代表)へ「私が最後に代表のユニホームを着た時は(W杯優勝回数を示す)星が3つだった。現在は5つ。6つ目が加わるのが待ち切れない」と話し、ペレと同じサントスでプレーをしたFWネイマールが、自身の代表歴代最多ゴール77点に並んだ際には(クロアチアに敗退した準々決勝)ネイマールに対し「君の成長を見続けてきた。ついに私の得点数に到達したことを祝福する。残念ながら(敗退し)最も幸福な日ではないが、これからも我々に希望を与えてほしい。君がゴールを決めるたびに、私は歓喜の拳を突き上げる」と、セレソン、後継者にメッセージを送り続けた。
 優勝したアルゼンチンのFWメッシや、決勝でハットトリックを果たしたフランスのFWエムバペ、アフリカ勢で初めて4強入りを果たしたモロッコにも「サッカーはいつものように魅力的に物語を続けている。サッカーの未来を映し出す光景を見られたのは何と素晴らしい贈り物だったことか」と投稿するなど、1958年から出場したW杯で最後の最後まで、世界のサッカー、世界中の選手たちに寄り添う存在だった。
 元日本サッカー協会会長で、Jリーグ初代チェアマンも務めた川淵三郎氏(86=日本トップリーグ連携機構会長)は、30日、自身のツイッターを更新して長く親交のあった「王様」を追悼。来年2023年5月15日に、30年を迎えるJリーグの開幕戦にも招待した(93年)。
 「ペレさんの訃報に接し心からお悔やみ申し上げます。早くからワールドカップで大活躍していたので僕よりずっと年上だと思っていた。Jリーグ開幕戦に来て頂いた時僕より年下だと知ってびっくり。試合が終わった後涙を浮かべながら素晴らしかったとハグしてくれた事が忘れられない夢見る気分だった」と、2ショットを添えて偲んだ。ペレ氏は、その後も日本のW杯招致に世界各地で尽力。日本の世界における地位を、引き上げてくれた。
 
 日本サッカー協会は、田嶋幸三会長、28日に再契約が決まった森保一監督のコメントを発表した(以下)

公益財団法人日本サッカー協会 田嶋会長
1970年ワールドカップでのペレさんのプレーを見て私はサッカーの魅力に引き込まれた。長きにわたり活躍した本当のスーパースターで、日本にも数え切れないほどのサッカーの魅力を届けてくれたことに感謝したい。サッカー界のレジェンドがまたひとり亡くなったことはとても悲しいことだが、世界中の多くの人々がペレさんのプレーを終生目に焼き付けているはずだ。安らかにお眠りください。

日本代表・森保監督 
カタールでのワールドカップの際にブラジル代表チームがペレ氏の快復を願って、チームでメッセージを送っていたことは記憶に新しく、今でもブラジルのみならず多くの人々に愛された存在でした。
サッカーを国際的なスポーツへと押し上げたのはペレ氏であることは間違いありません。そのプレーで世界中の人々を魅了し、私も間違いなくその一人でした。今、サッカーを生業にしている私にできることはサッカーの素晴らしさを伝え、多くの皆さまに夢や希望を与え、サッカーが日々の生活を明るく照らす存在となれるように努めていきます。安らかにお眠りください。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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