カタールW杯から(21日) 「遠藤、守田が続けた孤独な戦いの意味」21日練習で守田も合流 全員が揃う
98年のフランス大会に初出場して以来、「オープニングマッチ」を、どこでどんな風に観ていたかを鮮明に覚えているのは、華やかな開幕を観戦する楽しみは、出場国になったからこそ味わえるある種の「ぜい沢」だからだと思う。日本代表の練習取材中か、それが終ってレストランで観戦するのか、ホテルで仕事をしながら観るのか、どれも、日本の初戦を待つ独特な緊張感や、高揚感に満ちた時間は、こういう特別な場所に連れてきてくれた代表のお陰だ。
思い返すと98年フランス大会の開幕戦だけゲームを観ていない。余裕もなかった。日本代表はフランスのリヨンから近い、温泉療養地のエクスレバンに拠点を構えていた。選手だけではなく、スタッフも組織運営もすべてが初めての毎日、初のW杯で着用するユニホームは日本から背番号、名前入りで日本から輸送されて来た。当時「エキップメント」、今は「キットマネジャー」を、カタール大会で日本代表ただ1人「7大会連続出場」を果たした麻生英雄と、メーカーに勤務する寺本一博の2人が担当。寺本が1人、車でオランダの空港まで引き取りに向かっていた。この話を事前に聞いていたので、日も暮れて8時間ものドライブで、初W杯のユニホームなどという超貴重品を運ぶ寺本が気になって、代表のホテルの外でずっと待っていた。待ってどうにかなるわけでもないが、初めての経験に、こんな任務の小さな積み重ねがW杯なんだ、とも思えた。
寺本がバンでホテルに到着した時に「よかったぁ!」と拍手し、彼や麻生と遅い時間に握手し大喜びしたのを、開幕戦のたびに思い出す。
代表はその後、出場を途絶えさせることなく、今大会を迎え、選手のキャリアと同じにスタッフの経験、洗練した組織力を築いた。7大会連続出場の今大会、ベルギー戦で止まった時計が動き出す。
21日、脳しんとうで別メニューを続け19日に合流したMF遠藤航(29=シュツットガルト)がオンライン会見でドイツ戦への意欲を示した。「間に合う状態になっている。出るのであれば90分やるつもりでいます。もう一回(頭が)当たったらどうしようという不安はあるが、それを気にしていたらサッカーはできない。試合になれば気にせずプレーできる」と、ブンデスリーガ2シーズン連続「デュエル王」のプライドをにじませた。
ふくらはぎを痛めて、20日まで1人別メニューだった守田英正も21日、スパイクを履いて全体練習に合流した。遠藤も守田も、自分たちの任務の重さを分かっている。遠藤は、前回ロシア大会には選ばれながら出場できなかった。守田は初出場で、最終予選の途中「代表の試合を経験すればするほど、どうしてもここに残りたい、W杯に行きたいと思うようになった」とずっと話していた。2人がどれほどの重圧と、恐らく不安のなかでこの1週間を過ごしたか想像するのさえ難しい。
98年のフランスW杯では、井原正巳主将がひざのじん帯の大けがをして、しかし歴史的開幕戦、アルゼンチン戦に間に合わせた。
06年ドイツ大会も、加地亮が親善試合のドイツ戦で悪質なタックルを受けて大けがを負い、初戦のオーストラリア戦に間に合わなかった。キャンプ地ボンのグラウンドで早朝から一人リハビリ、トレーニングに集中する姿を思い出す。井原も加地もW杯という4年に一度、誰もが立てる場所ではないからこそ、「戦った」のだ。
遠藤と守田が、孤独と、重圧と、不安と格闘した日々は、23日に始まる日本代表のW杯を支えるはずだ。