スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2022年5月 2日 (月)

オシム監督訃報 森保監督「日本サッカーの日本化、に日々向き合っている」代表監督時代にコーチだった反町技術委員長「お父さん、と呼んでいた」

日本サッカー協会広報を通じて、田嶋会長、反町技術委員長、森保監督がコメントを発表した(全文)
日本サッカー協会技術委員会 反町康治委員長
「お父さん」と呼んでいたまさに日本サッカー界のお父さんがお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします。
Jリーグの監督として対峙した時にソリッドな守備とアイデア豊富で常に数的優位を作る流動性のある攻撃を併せ持ったジェフユナイテッド千葉は私にはとても衝撃的でした。また、2005年のJリーグオールスターサッカーで私がEASTチームの監督、オシムさんがコーチで一緒に仕事をさせていただいたのも良い思い出です。
そして2006年から就任された日本代表監督のオシムさんに、コーチとしてチームに加わった私はよく怒られながら指導したのを思い出します。彼にとって妥協という文字はありませんでした。今でも1番影響を受けた指導者であることは間違いありません。
一昨年、SAMURAI BLUEがオーストリアのグラーツでパナマとメキシコと親善試合をした際には、近くにいらっしゃるにもかかわらず新型コロナ感染症拡大防止のためにお会いできず、また日本代表のサッカーを見てもらうことができなかったのがとても悔いに残っています。安らかにお休みください「お父さん」

SAMURAI BLUE 森保一監督

突然の訃報にふれ、深い悲しみと大きな喪失感を感じています。一緒のチームで仕事をする機会はありませんでしたが、オシムさんのサッカーに向けられた情熱、そしてサッカー哲学に大きな刺激をいつも受けていました。「日本サッカーの日本化」ということを提言いただき、とても勇気づけられたこと、今もその言葉を胸に日々サッカーと向き合っています。
私も日本代表監督として、オシムさんが遺してくれたものをしっかりと受け継ぎ、そして未来へと繋ぐことでオシムさんが日本サッカー界にいた証を残し続けたいと思います。今までありがとうございました。安らかにお休みください。

公益財団法人日本サッカー協会 田嶋幸三会長

昨晩、オシムさんが亡くなられたとの連絡を受けた。オシムさんには多くの思い出が残っている。ユーゴスラビア代表を率いた1990年のFIFAワールドカップ、ジェフユナイテッド市原・千葉などの監督として素晴らしいチームを作り上げていた。選手たちを掌握する力が素晴らしく、考えて、判断するトレーニングを徹底することによって確実に選手を成長させてくれた。日本代表チームの監督に就任してからも多くの選手たちを成長に導いていた。名監督とは、まさにオシムさんのような人だと思う。2007年11月16日に倒れられた後、歩けるように、話せるように回復されたのは奇跡的だったかもしれないが、志半ばで監督交代をお伝えしなければならず、オシムさんの無念さを思うと本当につらく、その時のことは忘れることができない。監督として成功を収められたグラーツで過ごされていたことを聞いていた。ユーゴスラビア紛争や病などで波乱万丈な人生を送られたかもしれないが、それゆえに説得力のある言葉によってわれわれに影響を与えてくれた。安らかな眠りにつかれますようお祈りします。そして、ありがとうございました。

 

 

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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