スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2022年2月 1日 (火)

「生きるか死ぬか・・・ダメなら代表にはもういらないと」長友が大一番で見せた本当の背中

 開始早々、左サイドの息詰まる攻防に勝ったのは長友だった。この日は中盤の守田、田中との連携もあって、左サイドで中国戦よりもはるかに高い位置を取った。相手ボ―ルを奪って、また奪い返しての攻防をタッチライン際で展開して最後は態勢を大きく崩してひざを付きそうになったが、それでも日本代表出場数歴代132試合のベテランは泥臭くボールを保持し、サウジアラビアの2人に粘り勝ちした。
 18年ロシアW杯の初戦を思い出すようなシーンは、批判を受けながらこの試合にどれほどの思いで臨んだのかを象徴するものだったように思う。W杯ロシア大会初戦となったコロンビア戦、左サイドでフアン・クアドラードとマッチアップ。ファーストプレーでクアドラードをライン外に吹っ飛ばしてガッツポーズをした。それを聞くと、「久しぶりにワールドカップのように燃えました。きょうは生きるか、死ぬかだと思っていた。もしきょうダメなら代表に僕がいる必要なない。もう代表はダメだと思っていた」と、しみじみと答えた。そして、キレ、コンディション、メンタルでの冷静さや熱さを交代まで維持できた久しぶりの手応えを「僕には、魂の叫び声が聞こえました」と、ユーモアを交えて充実感を示した。
 立ち上がり、それは試合全体には決して大きなインパクトを持っていないようで、実は大一番に立たされたチームをけん引した長友のプレーは、細部へのこだわりだったのではないか。初戦のオマーン戦で敗れて大きなハンディを、スタート地点で背負った今シリーズで、余裕はなかっただろう。試合後、板倉も長友と同じような話をしたのが印象的だ。
 「90分通して集中していた。確認の声も切らさず、細かく、丁寧に。攻めている時のリスク管理から右とか左とか細かいところまで、わかっていることもしゃべりながら最後までやれた」
 今回、吉田―冨安がケガで欠場、CB不在が不安要素とされたが、結果的には板倉と谷口で無失点、2試合連続完封勝ちを収めた。試合後のコメントは、最初の混戦で何としても、と泥臭く踏みとどまった長友のプレーを汲む。
 板倉は昨夏の五輪でメキシコ戦に敗れ銅メダルを獲得できなかった後の会見で「監督より僕が先に答えていいですか?」と、森保監督と2人に飛んだ質問に前を向いた。そして「この悔しさは絶対に忘れない。皆(五輪代表)同じ気持ちで、1人でも多く、代表に入ってこの悔しさを晴らしたい」と答えていた。
 サウジアラビア戦後、「もちろんあの悔しさは今も忘れていない。この2連勝で(代表の)スタメンを奪いに行けるよう、シャルケでも頑張る」と、笑顔を見せた。神が細部に宿るかどうかは分からない。しかし、スポーツの神様は細部に間違いなくいる。それを改めて教えてくれる一戦だった。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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