スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2021年7月24日 (土)

5大会連続出場を終え引退表明の重量あげ・三宅宏実 小さな声で「ありがとうございました」とバーベルと五輪と全ての人に

5大会連続出場の偉業を果たした、重量挙げ49㌔級の三宅宏実(35=いちご)が、ジャーク99㌔に3回失敗し五輪を終えた。引退も表明した。初めてオリンピックに触れたのは、2000年のシドニー五輪、この時、入場行進を見ていて、なぜか涙がこぼれ、ここに立ちたい、そう思った日から、小さな女性の果てしない挑戦がスタートした。そこから21年を五輪に捧げた。
ロンドンで銀、リオで銅メダルを獲得。一方で、腰痛、ひざの痛みを感じなかった日がないというほど、酷使した肉体は悲鳴を上げていた。新幹線でも、椅子に座れず、床にマットを引いて座り、ストレッチなどの体のケアが練習時間のほとんどを占めるようにもなった。
そうしたなか、自国開催にたどりつけた理由を三宅は「幸運だった」と振り返る。メキシコ五輪銅メダリストの父・義行さんの指導には、義行さんならではの広い視野と計画性があった。重量挙げを本格的に初めてから20数年、父が描いた「地図」の正確さ、細かさが、「判断ミスしまくりの突進タイプの自分」(宏実)をここまで引っ張った。
 試合後、三宅に電話をもらい「ありがとうございました。本当に出し切りました」と、弾む声を聴いた。ジャーク2回目が失敗してから最後の3回目に向かうまでの4分ほどの時間、義行と宏実が舞台の裏で、最後の時間を惜しむように、何か会話していた。テレビの音声にわずかに拾われており、「大丈夫だよ」と言った父に、三宅が「はい」と笑顔を見せるシーンがあった。師弟でもあり、五輪を締める濃密で幸せな父と娘の時間だっただろう。五輪に入る前、両親に手紙を書いて感謝をつづったという。
 リオ五輪では、銅メダルを獲得した時、バーベルを抱きしめてキスをした。この日三宅は「ありがとうございました」と、小さな声で言った。重量挙げという競技に、両親に、5大会も見守ってくれた五輪の神様に、そして支えてくれた全ての人に。
 
デイリースポーツ15日 「心からお礼を言えるように」https://www.daily.co.jp/general/2021/07/15/0014502996.shtml

 

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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