スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2021年2月11日 (木)

東京五輪組織委員会会長・森氏が辞任、後任に川淵三郎氏 政治家からオリンピアンへ180度転換 川淵氏はこれまで女性登用を積極的に推進

11日=都内 千葉県内 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)は、JOC臨時評議会の挨拶で「女性がたくさん入っている理事会会議は時間がかかる」と、女性差別とも取れる自身の発言の責任を取って辞任する意向を固めた。また11日、都内で森氏が、元・日本サッカー協会会長で、バスケットボールではbリーグを発足させた川淵三郎氏(84)に組織委員会会長として後任を打診。川淵氏はこれを受ける意向だが、正式な決定には、定款上、12日に行われる臨時理事会、評議会を経なければならない。組織委員会は理事のうち1人を会長に選ぶとしており、理事は有識者らによる評議員会で選任する。
川淵氏はこの日、「若い世代を含め、適任者はたくさんいらっしゃると思った。そういうお話をしたが、(森氏との)対談では、もう外堀が埋められているようで、勘弁してくれ、とは言えない状況だった。ここまで森さんが長い時間をかけて道筋を立てていらっしゃった。それを引き次いで、日本、スポーツ界に最後の恩返しができるようにベストを尽くしたいと思っています」と話した。森氏は、早大で1年上の川淵氏に対し、五輪選手村の村長を要請したほか、ことのほか尊敬の念を抱いているという。
2013年にIOC総会で東京が五輪招致を決定して以来、8年近く「政治家」がキャスティングボードを握ってきたが、開幕まで5カ月となって、「オリンピアンアスリート」が顔を務める180度転換となった。

川淵氏は、2002年に日本サッカー協会会長に就任した後、女子サッカーの発展に力を注いだ。当時は、交通費を自費で負担し遠征や合宿に参加していた選手たちのため、費用は協会が先に負担とするようにと事務手続きを変更し、合宿もそれまでよりはるかに多く行った。2000年シドニー五輪に出場できなかった女子が、04年アテネ五輪最終予選を突破し(北朝鮮戦、国立競技場)五輪2大会ぶりの復帰を果たした直後、ロッカーで選手たちにポケットマネーでの慰労金を約束。「金額は少しなのに、それにうれし泣き選手を見たら涙が止まらなくって」と、号泣した。04年誕生した「なでしこジャパン」は、協会の、これも女子職員の提案を、広く拾いあげた川淵氏が委員会を作り、公募、選考を行ってつけられたもので、いわば生みの親でもある。
なでしこのボランチとして国際試合を経験した中心選手・宮本ともみ(伊賀FCくノ一)が05年、女子代表では初めて出産すると、「早くチームに戻れるように」と、ベビーシッター制をいち早く導入し、宮本の復帰を全面的にサポート。日本バスケットボール協会・三屋裕子会長の起用を進め改革をはかるなど、スポーツ組織における女性の登用、女子選手のための環境整備に力を注いできた経歴は、Jリーグやbリーグ発足の功績と同様に特別なものといえる。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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