スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2021年1月31日 (日)

大阪国際女子マラソン 一山、前田を支え背中を押した男子ペースメーカーは、異色の経歴を持つ川内、岩田、田中の3人

31日=大阪・長居 周回(2・8キロ)コースでのレースと並び、異例となった男子ランナーのペースメーカーを務めた川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)らが無事に任務を終え、大会組織委員会を通じてコメントを発表した。川内は「貴重な体験をさせてもらった」と話し、長居スタジアムに入るまで川内と共に一山麻緒を引っ張った岩田勇治(三菱重工)も「貴重な体験に感謝したい」と感想を寄せた。川内の妻・侑子さんも2時間40分22秒で16位とトップ選手並みの成績でゴールした。  
 
また、序盤で足の痛みもあって日本記録更新のペースからは大きく離れてしまった前田穂南を30㌔もサポートした田中飛鳥(ひらまつ病院)は、「(前田が)1人になったので後ろを気にしつつ、ペースが落ちないことに気を使った。すごくやりがいがあった」と感激した。
 川内は、21年12月に、2時間20分を100回突破した初のランナーになり、2018年のボストン優勝などの実績を誇る。岩田も19年の別府大分マラソンで3位となり、五輪代表をかけた選考会「MGC」にも出場したトップランナーだ。田中は、東海大在学中に箱根駅伝を走り、その後は強豪・富士通に入社。ケガに苦しむなか、西鉄に移籍しその後、一度は市民ランナーとなった異色の経歴の持ち主でもある。18年から再び現在のひらまつ病院で実業団ランナーとなった。
 公務員ランナーから日本を代表するランナーと自力で這い上がった川内、31歳でマラソン9分台の自己新をマークした遅咲きの岩田、箱根から実業団、市民ランナーを経て再び実業団に戻った田中。先頭集団のペースメーカーを務めた3人それぞれが、ユニークで何より豊かなマラソンキャリアを持っていたことが、コロナ禍や体調不良、長いブランクやケガで厳しい状況に立たされてレースに臨んでいた一山と前田を力強く支えてくれた。大会記録、自己新記録を導いたのはペースだけではなく、豊かなキャリアによる優しさでもあった。
 
 
川内 一山選手が最後まで粘ってくれて、最後はペースを戻してくれるような走りをしてくれた。ペースメーカーとして日本記録にはならなかったが、良かったなと思います。前田選手も早い段階で落ちてきたときからよく粘ったと思う。プレッシャーがかかる中でも、2人は大崩れせずワンツーできている。本当に強い2人だと思います。みんなが頑張っているのをみると、私もまだまだ頑張らないといけないと思う。最近は苦しくなるとガクッと落ちたりするレースが多かったので。苦しくなった時に粘るという心の強さが必要だなと。貴重な経験をさせてもらいました。

岩田 最初は感覚をつかめず、3㌔までは早くなったり、遅くなったりした。そこから設定通り(ペースを)押していけるようになった。後半は風が強くなって、一山もきつくなってきた。最後は「ラスト、ラスト」とか、ゴールが近づいたときは「ここで粘れば」とか声をかけながら粘っていった。大会記録を出してくれたのはうれしい。貴重な経験をさせていただき感謝しています。

田中 ペースメーカーは初めてで不安はあったが、チームジャパンとして記録を目指す一員に呼んでいただき、すごくやりがいがあった。予想より早く前田さんが遅れてしまって残り30㌔くらいあったが、しっかり最後までサポートしようと。自分もマラソンをやっているので練習にもなるし、間近で五輪代表選手と一緒に走れるのはすごく良い経験になった。これからの自分の走りに生かしたい。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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