「オリンピアンと鮭の関係、は全くないけれど・・・」競泳の瀬戸大也が半月かけて出したコメントの率直さと重みに
子どもの頃から、動物園や博物館、展示場が大好きだった。パンフレッは熟読し、展示や紹介を見ていると新たな疑問が次々と沸いてくる。質問の塊みたいな子どもに大人の評判は芳しいものではなく、結局いい歳になってもあまり変わっていないような気がする。
道東の、鮭で有名な標津(しべつ)町に観光と、鮭の生態研究のために作られた「サーモン科学館」を訪ねた時も、魚道水槽の前で実際に鮭が遡上してくる姿に釘付けになり、ガラスにほとんど顔を付けて係員に白い目でにらまれ、順路を戻ったり、資料を探して歩きまわり、気が付くと閉館時間になっていた。
鮭は、おおむね4年に1度、北太平洋を回遊して再び生まれた川に戻って来ると言われる。この「4年に1度」がどうして魚にできるのか、ずっと知りたかった。そもそも生まれた川を、海を回遊しながらどうやって再び探せるのだろう。サーモン科学館でも色々読んだが、「なぜ帰ってくるのかまだ完全には解明されていない。今後、研究が進むはずだ」と教えられた。自然の神秘に益々好奇心をかきたてられたのは、私にとって鮭が、いつの間にかアスリートを強く連想させる存在となっているからだ。命の限りを尽くし、大海から生まれた川の激流を遡上しボロボロになる鮭の様子と、4年をかけてオリンピックを目指すアスリートたちの姿が、なぜかいつも重なってしまうのだ。選手には大変不評!な「たとえ」だが。
オリンピックが4年周期で行われる理由には諸説ある。古代ギリシャ人が使用していた暦(こよみ)で、かつて古代五輪は太陰暦に従って8年に一回だったが、後に半分の4年にされたとの話もあれば、金星と地球が一直線に並ぶ4年に1回で行ってきたとの説もある。オリンピック選手たちを長く取材しながら、彼らには、一般人には決して持てない、不思議で、かつ極めて正確な体内4年時計が宿っているのだと実感してきた。
女子マラソンでただ1人、2大会連続メダルを獲得した有森裕子(53)は02年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した後、ケガに苦しみとうとう手術に踏み切った。引退さえ覚悟する中、96年アトランタ五輪選考会に奇跡的に間に合い出場権を獲得。そこから銅メダルを手にする様子に、「まるで生まれた川に帰る鮭のような着地だ」と、取材で笑い合った。柔道で、3連覇の偉業を果たした野村忠宏(45)も、いつも五輪の1年半ほど前になると、数えきれないライバルを倒して必ず五輪の川に帰って来るアスリートだった。
反対に「最後まで、4年の体内時計を正確に使えなかった」と、ピークを外してしまう本音を吐露した選手もいる。いずれにしても、「4年」がいかに困難な時間で、そのわずか1日に、心身のピークを合わせる難しさや繊細さを、記者など断片的なものを見ているに過ぎないとしても、知っている。
2020東京オリンピック・パラリンピックが新型コロナウイルス感染拡大を理由に延期になった3月下旬、真っ先に、東京への4年にかけていたはずの選手たちの顔を思い浮かべた。あの日以来、「気持ちを切り替えて前向きに」「新型コロナウイルスに勝って、さらに素晴らしいオリンピックにしたい」そうした前向きなコメントが一斉に発信されてきた。五輪の延期日程も、新型コロナウイルスの感染が世界的に猛威をふるう中、わずか6日目に決定。新たな目標へのシフトがかなり乱暴に進んだかのようだが、沈黙を守る選手も少なくなかった。そんななか、競泳の200、400㍍の個人メドレーで出場権を持つ瀬戸大也(25=ANA)は10日、延期が決まってから初めて自身のSNSで心境を明かした。
「東京五輪の延期が決まり2週間が過ぎました。その間に日本選手権の延期も決まり、自分の中で来年に向けての気持ちの整理ができず、今までコメントを出せずにいました。覚悟を持って東京オリンピックに向けて調整をしてきたからこそ前向きな発言ができませんでした。延期が決まった時は喪失感で抜け殻になりました。自分はすぐに切り替えて来年頑張りますなんて言えなかったし今でもまだ完全に切り替えられていない日々が続いています。コロナの関係もあり練習もまったくしていない状態です。これまで練習して積み上げて来たことはタイムとして証明できているので今後どうしたら今年以上にタイムを縮め、オリンピックで金メダルという夢を叶えられるか考えたいと思います。
オリンピックは自分にとって何事にも代えがたい夢の舞台です。こんな思いや経験をさせてくれるオリンピック。来年でも再来年でもいつやっても絶対に金メダル獲ってやると強い気持ちを少しずつ作っていき、また再スタートをします!」
(全文)
メディアには「コメントが欲しい」と、もっとも強く求められていた金メダル候補だ。しかしマネジャーは、メディアからのプレッシャーを受けながらも、近くで落胆する瀬戸を見守り、「来年に向けて頑張ります」などと発信するのを止めたのだろう。代表権が保持されるかどうかの話ではない。感染の収束も見通せず、選考会どころかトレーニングさえできない現状だ。1年先を目指してもう一度気持ちと体を奮い立たせることができるのか、「選手は(そういう調整の)プロなんだから合わせて当然」などは少しも思えない。経験のない不安と向き合うのはこれからだろう。
「喪失感で抜け殻になった」ー瀬戸の、率直で、プライドに満ちたこのコメントが印象的だ。激しい逆流でもジャンプし、跳ね返され、それでも上流に泳いでいく鮭の姿を瀬戸に重ねてしまった。瀬戸にもきっと、不評に違いないたとえだと承知のうえだけれども。(6日付け 釧路新聞コラムに加筆)