「過酷な条件に準備して練習して挑む、トップアスリートのその喜びが奪われた」東京世界陸上銀、バルセロナ五輪4位の山下佐知子コーチ
日本陸連会長でIF理事の横川氏、尾縣専務理事欠席会見が浮き彫りにしたもの
日本の陸上界に「夏マラソン」の言葉と具体的な強化策が生まれたのは1991年東京世界陸上が招致に成功した頃からだった。夏の北海道マラソンをわざわざ選考レースに加え、暑い当日だけではなく、暑さの中でトレーニングスケジュールを組み、コンディションを合せていく、こうしたプロセスも強化の指針に加えた時代だ。
こうした強化と、果敢な挑戦が功を奏し、91年東京世界陸上では日本の女子陸上選手として山下佐知子現・強化コーチが初のメダル獲得(銀)を果たし、翌年のバルセロナ五輪代表に内定。2年連続で過酷な夏マラソンを設定され、そこに挑んだ山下コーチは5日、「決められた条件に準備して、用意して挑む。それが(五輪のようなレベルを戦う)トップアスリートだと思っていたし、その喜びもあった。もちろん、健康が優先だとわかっているが、参加が目標の選手と、オリンピックでメダルを狙う選手は違う。(IOCがアスリートファーストと言うなら)トップアスリートをないがしろにするような変更はして欲しくなかった」と、会見後、率直な言葉を口にした。同時に山下コーチは女子の強化合宿のため8月2日に近い日程でここ3年間も続けて40㌔走を荒川の河川敷で実施したデータについて言及。それによると、運動の中止の目安とされる「暑さ指数」で30を超えたのは1度だけ、さらにスタートは午前7時ではなく実際には6時半のため暑熱対策には一定の手応えを持って臨めたという。
アスリートファーストとは何か。山下コーチが自らのキャリアと重ねて自問自答するのと同様、瀬古氏もまた「決められたことを急に変えちゃいけない。それこそアスリートファーストじゃない。常識的に考えれば9ケ月を切って変えるなんて考えられない。考えられない常識をやってしまうIOCは本当に凄い。本当の理由は何だったのか知りたい」と答えた。河野匡コーチはただのテストイベントではなく「真剣勝負のレースとして」MGCのため、ここ数年準備した労力、思い、そして100億円は超える費用は何のためだったか、と悔しさをにじませた。
瀬古氏は「きょうから札幌、札幌、札幌と言い続けます。これから札幌ラーメン食べに行きます」と瀬古流で笑い飛ばしたが力がなかった。今村氏も、今回のドーハをあえて五輪代表選考会にまで設定し、長い時間をかけて生理学的にも準備をした背景が、男子20㌔、50㌔両方の金メダルにつながったと無念さをにじませた。
今更何を言っても変わらない、もう切り替えるべき、といった声があるのを承知の上で現場がようやく声をあげたが遅かった。交渉の余地はなく覆らないからこそ、もっと早く、もっと強く、自分たちの思い、意見を五輪に向けてまずは主張すべきだったのに残念だ。「きょうは強化委員会の会見だから」と理由を説明したが、国際陸連の決定機関理事会を構成する理事であり陸連の横川会長、ポジティブな会見には常に登場する尾縣専務理事は欠席。政治だ、組織だ、と、そもそも舞台に上がろうとさえしないまま戦いが終わってしまった。強化担当者が明らかにしたのは、選手とはまた違うむなしさだろう。