中2日で修正し、力を示した若手とベテランが融合したチームに 1999年と同じ勝ち点1の、しかし大きな違い
気温は試合開始前から一気に12度まで下がり、長雨で荒れたピッチは、前日の公式練習が中止となるなど足を取られてしまう状態だった。ウルグアイは、このタイトルへの本気度を示すように、初戦と10人同じメンバーを揃え、世界的なストライカー、スアレスとカバーニ2人が前線に並び、日本の守備陣に重圧をかける。さらに3万人を超えるサポーターのうち90%はウルグアイ勢という、いわばコパでしか味わえないような完全アウェーのスタジアムが、その瞬間だけ静まりかえった。
前半25分、自陣の深い位置で柴崎が右サイドの三好に展開。ボールを受けた三好はマッチアップしたDFラクサールを軽快なステップで一気にかわすと、ニアサイドを右足で抜いてゴール。初戦のチリ戦では前半で1点取られて下を向き、声をかけ合うことさえ忘れた若い代表は、中2日で修正し、立て直し、先制してしまう。「チームとしてどう戦うか」について、再考し、徹底するため、森保監督はその道標に、FWに岡崎、GKに川島とベテランを同時に起用。川島の前に植田、ボランチに柴崎、トップに岡崎と、生き生きとした若い芽が伸びやすいよう、中心線でオーバーエージ枠による「背骨」をがっちり固めた。
前半29分、PA内で植田がカバーニのシュートをブロックしようと出したスパイクが、カバー二のキックとバッティング。VARで危険なファールとして植田にイエロー、ウルグアイにPKが与えられこれをスアレスが同点ゴールとした。前半を1-1で折り返した時この日、昨年のロシアW杯ポーランド戦以来の代表先発、歴代単独3位となる118試合目を記録した岡崎は手応えを感じていたという。三好のシュートを近くで見て、「短期間でこういう選手が出て来るなんて楽しい。でも最後はオレが決める」と、若いチームの伸びしろに驚きつつ、同時にその勢いに自らの闘志をかきたてた。川島も同じだった。
昨年W杯で痛恨の敗戦となったベルギー戦以来の先発に、「若いチームをサポ―トしながら、チーム力を増すためのプレー」と、チームへの献身を優先した。しかし前半45分間の冷静な試合運びに「彼らの(伸びよう、伸びようと吸収する)気の持ち方は、僕が称賛したい」と、若手に励まされた。2人が自分をキャリアのあるベテランとして若手を引き上げるとった目線ではなく、自分たちがその力に引っ張られるよう溶け込んだのはこの日の勝ち点1の大きな要因だろう。
先発起用について森保監督は「色々と要因はあるが、彼らが試合に出るために(経験を伝えるといった守りの理由ではなく)一回一回のトレーニングで最大限のパワー、エネルギーを発揮しているのを見て決めた。トレーニングの時から選手たちのデータを取りながらみているが、彼らの出すパフォーマンスが本当に素晴らしく、データ的にもそして主観的にも、試合に出てチームを引っ張っていって欲しいという気持ちで使った。経験のある選手と若手が融合し組織的に戦えたのは次につながった」と満足感を漂わせた。監督は初戦でもベテランの起用を考えたが、若手が難しい試合を自分たちで乗り越えるのが成長だと踏みとどまったという。
後半、25分、杉岡、中島のワンツーから杉岡がゴール前にクロスを入れる。岡崎が、ゴールに飛び込んで一度潰れ、ここにこぼれたボールに三好が飛び込んで再びウルグアイを1-2とリード。先制で静まりかえったスタジアムが、今度は騒然となった。35分にはCKから同点とされ猛攻を受けたが、残り時間を凌いで2-2の引き分けに。柴崎は「チリ戦の反省を活かして試合を進め、よくコーディネートできた」と自信を見せた。これで3戦目のエクアドル戦での1次リーグ突破の可能性が高まった。
この日は、奇遇にもコパに20年ぶりに日本が出場している時、アルゼンチンのブエノスアイレスに在住した北山朝徳氏の葬儀が現地で行われていた。日本サッカー協会の国際委員として日本と南米に太いパイプを築き、2002年W杯招致、99年の南米選手権初出場など日本代表を国際舞台に立たせてくれた功労者のために、選手、スタッフは全員が喪章を巻いて追悼試合とした。
先制点の際には、その前のプレーで負傷していたDFラクサールの交代が遅れ、三好のサイドに入ったわずかな隙を逃がさなかった。前半36分には、カバーニの強烈な左足シュートがクロスバーに救われた。北山氏が見守っていたのだろうか。
1999年、グループリーグ3戦目のボリビア戦での勝ち点1は、相手に退場者が出て10人になっても勝ち切れなかった、いってみれば2点を落としたともいえる引き分け。20年目の勝ち点1は日本に何をもたらすか、3戦目に真価が問われる。