スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2011年11月10日 (木)

遠藤保仁 独占スペシャルインタビュー ―遠藤という視野から広がる、ブラジルへの景色― 前編

 11日、日本代表はアウェーのドゥシャンベセントラルスタジアムでタジキスタンを下し、その後、ウズベキスタンが北朝鮮に勝ったため、3次予選突破を決 めた。ロスタイムの劇的ゴールで始まった3次予選(北朝鮮戦1-0)を、遠藤保仁(31=G大阪)は、「戦術より、システムより、代表の精神力を固める戦 い」と表現する。3次予選突破を決める1週間となる、11日(タジキスタン)、15日(北朝鮮)のアウェー2連戦を前に、現時点で代表最年長、Aマッチ歴 代3位となる112試合(2011年10月現在)にまで上り詰めたMFに聞いた。ザッケローニ監督のもと、ブラジルに一歩踏み出した日本代表として、未踏 の頂を目指す一人のフットボーラ―として、31歳のボランチの視野に映るものはどんな景色なのか。

2011年10月末、G大阪にて取材
(取材・文:スポーツライター 増島みどり)

1本のミスが、自分たちの首を絞める怖さを実感

― チーム最年長のポジションで迎える、最初のアジア予選を戦ってきましたが、過去の予選との違いは感じましたか。

遠藤 ボランチという「ポジション」での仕事には大きな違いを感じることはありませんが、 チームでの「立ち位置」にはやはり南アの時とは違った重みや責任感は抱いています。ザッケローニ監督に代わって1年、アルゼンチンや韓国といった強豪国と も戦いながら無敗と結果を残す中で、南アで得た自信と、新チームで勝ち続ける自信とが相乗効果をもたらしている感じがします。でも、それと予選は全く別物 でしょう。どんな試合とも比べることのできない雰囲気であったり、難しさであったり、それを乗り越えながら最終予選まで戦い抜く厳しさを、未経験の若手も 知ることができる。

― それについてはよく、ベテランが伝えたり、話して教えると言われますね。

Ph_brasil_endo03 遠藤 伝えたり、話して分かるような類のものではなく、自分でサッカーに気が付かないといけないと思う。最年長だからといって、それを伝えるとか、教えるなんて上からではなくて、自分で気付いて欲しい、というスタンスでこの予選に臨んでいますね。その気付きのための手本に、ピッチでなろうと思っています。言葉じゃ伝わらないので。

― サッカーに気付く、という言葉、ご自身の経験から出るんでしょうね。

遠藤 自分も入りたての頃は、先輩や同世代で経験のある仲間のサッカーに気付こう、気付こ うと必死でしたから。若い時の自分は代表に入れればいいなぁと思いながらプレーし、もう少し経験を積むと今度は入りたい、となる。でも今回は、代表に入ら なくてはいけないんだ、と思ってやっている。代表って、自分で気付いてチャレンジしないと置いて行かれてしまう場所ですからね。自分自身の3次予選のテー マは、もちろん突破と同時に、苦しい時にこそ最高のプレーをし、手本になること。苦しい時のプレーのレベルを追求したい。

― その点でも、ホームの北朝鮮戦が初戦だったことは、ある意味で象徴的でしたね。

遠藤 ドイツの予選でも、まさにあれと同じ(最終予選、大黒のロスタイムゴールで勝利)でしたし、今回もロスタイムの表示を落ち着いて確認していましたね。ロスタイム5分、充分時間があるなあ、と。

― 充分、ですか。

Ph_brasil_endo01 遠藤 あの試合で、若手もこのチームも、サッカーは本当に5秒でひっくり返るというのを実感できたはずです。絶対に慌てず、時間がないからこそていねいにやる。苦しいときにそういうプレーで手本になりたかった。有利なはずのホームで、普段はミスなどしない場面でミスをし、ロスタイムまでゴールを奪えない。たった1本のミスが、自分の首を絞める怖さ。気負って前がかりになると、受け取ったほうが逆に苦しくなってしまうようなパスを出してしまう。全て、相手の賭けてくるものが違うからです。それを受けて跳ね返す難しさ、怖さを肌で知ったことで、2試合目のアウェーも、また違った厳しさの中で、追いつくことができた。確かにアジア杯のカタールもアウェーでしたが、カタール以外の国にはみんなアウェーですからねぇ。この1年間、アウェーは韓国戦だけで(親善試合)アジア予選のアウェーとは全く違う。チームの経験値のレベルをあげていくのが、この予選だと思う。

― 確かにパスの供給源が、わー、ロスタイムだ、大変!では劇的なゴールには結び付きませんね。遠藤選手は悠然としていた。

遠藤 だって本当に慌てることは何もないですからね。おー、余裕じゃん、ってね。それを、5分あれば充分だよ、と言葉じゃなくて伝えたい、と思っていました。世代、キャリア、考え方でみなそれぞれですし、20歳もいれば、自分のように31歳もいる。けれども、これがまとまりながら代表の精神力を固めていく。突破するための勝ち点と同じに、そのコア(核)を3次予選から大きくしていくんです。南アだって、うまくいかない、勝てない時期の苦しみをチームとして乗り越えたから、強くなった。負けていないことは自信にはなるけれど、だからといってそれでいいというわけじゃない。

3バックを焦らない

― ザック監督自身、初体験ですよね。スタート前は、遠藤選手も監督に、日本のホームの独特な難しさなどを少しだけ話したいっておっしゃっていましたね。

遠藤 本当に少しだけ、ホームの雰囲気、むしろホームが難しくなるかもしれません、と話はしましたが、この3次予選で、さすがイタリアで修羅場をくぐってきた監督だなと実感しましたね。すごいな、と思うのは切り替えかな。

― 切り替え?どういうときに。

遠藤 例えば前日の公式練習は、最初公開にして、みなさん(報道陣)が出た後非公開になりますよね。多分、監督も選手も笑顔でリラックスしていて、いいムードの場面で。

― ええ、そこで、すみませ~ん、スタジアムから出て下さい!って。

遠藤 みなさんがいなくなった後、監督はガラリと雰囲気を変えますね。要求も厳しくなりますし、笑顔は消える。あすの試合がどういうものかを強い口調で選手に伝え、ロッカーまである種の緊張感を持続させて、ピッチに送る。これは、この1年間の親善試合とも少し違ったもので、予選に入って、監督がビッグクラブでやってきたキャリアの奥深さを知らされますね。

Ph_brasil_endo02

― 見事な切り替えを見られなくてホント残念ですが。予選が、チームとして強い精神力を作りあげたとすれば、戦術的にはどうでしょうか。例えば3バックの導入。

遠藤 メディアには、ネガティブに書かれていますから、選手も見てはいますが、気にしていませんね。この段階で完成形を求めているわけではない。例えば、子どもたちの勉強を見るときだって、いきなり割り算や掛け算を教えることはしないでしょう。足し算、引き算でしっかり準備してから進む。ただこなすんではなくて、それを一番苦しいときにも使えるようなレベルにするためにトレーニングしている。

― 監督は何と言っていますか。

遠藤 監督ともよくコミュニケーションをとっていますしね。監督は、全く焦っていないし、それは僕らも同じ。理論的には非常に面白いですし、みんなの意欲も高い。3次予選を突破したとき、自分たちが、3バックでも何でも数字以外の手応えを実感していれば、ブラジルに向かってひとつ進めたのだと思う。3次予選突破は、ある意味で当たり前に果たさなくてはいけない仕事ですから、それ以外の何か、を得ることが最終予選につながるはずです。監督がいつも言う、成長を止めないことが何より重要になる。

[ 後編へ ]

遠藤 保仁(えんどう・やすひと)

1980年1月28日生まれ。鹿児島県出身。ガンバ大阪所属。
1998年に鹿児島実業高を卒業し、横浜フリューゲルスに入団。同年3月21日に行われた横浜M(現横浜Fマリノス)戦で、Jリーグ初出場。1999年より京都パープルサンガ(現京都サンガ)に、2001年よりガンバ大阪へと移籍し、現在に至る。
また、U-16以降、各年代で日本代表に選出され、今では唯一無二の存在として、活躍する。
個人タイトルも、2003年のJリーグ優秀選手賞、Jリーグベストイレブンをはじめ、2008年にはAFCチャンピオンズリーグMVP、日本年間最優秀選手賞を受賞、2009年にはアジア年間最優秀選手賞に輝くなど、その活躍は留まることを知らない。

[ 前のページ ] [ 次のページ ]

このページの先頭へ

スポーツを読み、語り、楽しむサイト THE STADIUM

増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

最新記事

カテゴリー

スペシャルインタビュー「ロンドンで咲く-なでしこたちの挑戦」