上田藍「ロンドンで、金メダルを取れました」ロンドンで咲く-なでしこたちの挑戦(前編)
「ロンドンオリンピックで金メダルを獲得することができました。本当にありがとうございました」
現在形と未来形を間違えた文章ではない。9月、トライアスロンでロンドン五輪代表に内定した上田藍(27=シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター)のノートに書かれた一文である。北京五輪を17位で終えたその夜から現在まで、一日も欠かすことなく書き続ける、自身が名付ける「ありがとうございましたのノート」に記された文章には、競技者として究極ともいえるイメージトレーニング、ポジティブな思考回路が詰め込まれている。「練習ノート」、得意の絵を描き込む「マイブック」と、3冊のノートがロンドンまでの道のりを支える。
10月16日、日本トライアスロン選手権(お台場海浜公園)に出場する。
(取材・文:スポーツライター 増島みどり)
「くも膜下出血の日も、ありがとうございました」―ありがとうございます、のノートから
――ありがとうございました、と、過去形になっているということは、ノートの上での上田さんはすでにロンドン五輪での金メダルを手にされているわけですね?
上田藍 はい。金メダルを取りたい、と言って臨んだ北京五輪を17位で終えた時、取りたい、ではなくて、取るためにどうすればいいのか、どう狙うのか、をもっと突き詰めて練習に取り組まねばならないと強く思いました。目標に近づき、叶えるためには何よりも明確な意識を持つことが大事だと考えて、ロンドンで金メダルを取れた、というイメージを持とうと思ったのです。
――トップアスリートたちのイメージトレーニングにはさまざまな形がありますし、よく驚かされるのですが、金メダルを取れました、と4年間書き続けるというのは初めて伺いました。メダルが取れてよかった、うれしい、ではなくありがとうございました、という表現はなぜでしょう?
上田 一人で成し遂げられる目標はありません。私は、水泳と陸上をやっていたことから、両方合わせて力を発揮すれば、後は自転車を組み合わせればできるかな、と思いトライアスロンを始め、本当に幸運なことに練習を休まなくてはならないような怪我や病気何ひとつしないで続けてこられました。北京前に足首の捻挫をしたことはありますが、それも、走る以外の練習をするなどに充てられるものでしたから。充実した練習に取り組めるのは、自分ひとりの力ではないので、その思いを忘れないために、と書いてきたのですが、練習が充実しているから感謝するのではない、もっともっと基本の部分での思いや、自分自身を見つめるような大けがに遭いましたね。
――昨春ですね。自転車でのトレーニング中に転倒された。
上田 海外からの遠征と連戦で多少の疲労はあったとは思いますが、とても不思議な体験でした。海外から戻って、地元千葉での練習中、その直前までは、次に控えていた国内レースをどう攻めるか、タイム差やバイクで自分が走っている時のポジション取りまでセルフマネージメントを入念にしながら集中していました。ところが、フッと記憶が途切れて、気が付けば畑近くの側溝に自転車ごと落ちているんです。ちょうど、農作業をされていたおじさんが、私が落ちるのを見ていてすぐに駆けつけてくださったんですが、私は血まみれになっているのに、大丈夫です、大丈夫です、と言っていたようです。
――大丈夫ではないですよ。
上田 報道では、居眠り走行と表現されたようですが、本当に記憶がある地点から20メートルほどのところでそんな事故が起きるなんて、想像もできませんでした。覚えているのは、田んぼの用水路に私のシューズが一足流れていたことです。私は、救急車に乗っても、一足ないんです、流れてしまって一足ないんです、とずっとつぶやいていて…興奮していたんでしょうけれど、痛みや重傷だなんて思わなかった。
――重傷どころか、付き添われた山根コーチもくも膜下出血と聞いて、背筋がぞっとされたのではありませんか?
上田 ドクターが頭の画像を診ながらコーチに「うーん、(状態は)よろしくないですねえ、外傷性のくも膜下出血です」と言ったのは覚えています。私は、エーッ、よろしくないわけないのに、私はこんなに元気だし、練習だって今もできるのに、と。
――くも膜下出血で練習?
上田 ハハハ、今冷静に振り返るとおかしいんですが、その時は練習を続行することで頭がいっぱい。練習を休むなんて考えたこともありませんでしたし、外傷性でしたので出血が落ち着いて退院し、山根コーチの制止を振り切って泳いだら、25メートルで吐き気に襲われました。
――本当はもっと手前からでしょう?
上田 そうですね。初めてトレーニングを休んだ時、感謝って口にしてきたけれど、もっと基本的なところで自分は何かを忘れていたのではないかと気付かされました。意識ははっきりしていたので、側溝に落ちた時も、この事故を無駄にしません、ありがとうございました、ロンドンで金メダルを取れました、と書いています。悪いことが表に出れば、よくなるだけ。デトックスの思考回路みたいな考え方ができるようになりました。
「プレ五輪で、トップ3で走った自信」―練習ノートから
――事故後の変化は?
上田 まず、注意力や何かを予想する、危機の察知能力のようなものが高まりましたね。あり得ない場所に、起き得ない状況で落ちてしまったことで、レース中は何が起きるか分からないと身を持って知ることができました。バイクで走っていても、この選手が転倒したら、避けるスペースはこの位取って、という風に、必要な引き出しは常にたくさん持っておこうと思いながらトレーニングし、それを試合に活かせるようになったかもしれません。以前は、体が先に行き心を引っ張ってくれましたが、事故の後は、先ずは体の声をしっかりと聞くことにしました。いつも以上に念を入れたケアも習慣になりましたし、ナショナルチームにいるのが当たり前になっていた自分がもう一度スタートラインに戻り、高いモチベーション、国際大会に出られる喜び、これらを深く味わえる。それに、側溝にドーンと落ちてしまったから、もうちょっとのことでは驚かなくなりました。
――ここで笑えませんが、心技体、すべてがけがの後より充実されたことがロンドンにつながりましたね。
上田 そうだと思います。09年9月から始めた体幹トレーニングの成果も実り始めているんだと思います。スイムでどうしても腰が前傾してしまうクセがありましたが、これが明らかに改善されている。8月のプレ大会(世界選手権シリーズ ロンドン大会)では、順位は11位でしたが、スイムでトップと46秒差につけ、バイクでも終盤でトップ集団に追いつきましたし、最後のランでは一時、ベスト3に入って集団を走っています。ランでの最初の1キロから積極的に飛ばした結果の11位は、とても充実した手ごたえを感じられるものでした。金メダルを取りたい、ではなく、取るためにどうすればいいのか、その目標数値がはっきりした大会でもあります。課題のスイムであと10秒から15秒を短縮できれば、表彰台は見えます。
――3位の選手から30秒以内の結果で選考基準をクリアし、10ケ月前に代表内定を決められたわけですが、前回と比較するといかがでしょう?
上田 準備期間にチャレンジすることができますよね。前回は、五輪イヤーになって、選考会で結果を出せねばならないプレッシャーもありましたし、逆に決まってしまって、「出る」ことにホっとしていたように思います。10ケ月のアドバンテージを今度は積極的にトライする時間にあてられると思います。
――海外の有力選手との差を少しでも埋めるためには。
上田 技術的なトレーニングはもちろんですが、事前のチェック、それをレース中にも完璧に活かしきる集中力でしょうか。出場する選手の最近のタイム傾向、3種目のうちどれが強いか、どういう特徴を持っているかなど、これは事前のリサーチで頭に叩き込んでおかなくてはいけないものです。その上で、自分がマークする選手、タイム差など、競技中に情報を整理しながら戦略を練る。こういった戦略的な部分は、トライアスロンの面白さでもあるのですが、なかなか伝わりませんよね。
――トライアスロンは、フィジカルの極致での競技に思われますが、実際には、心技体プラス脳を同時にフル回転させている感じがしますね。トランジション(種目からの切り替え)などは、この競技独特の「早変わり」でしょう。シューズの紐を結ぶ時間も計算に入れたり、素人にはとても面白いものです。
上田 みなさんがイメージされるのは、やはりロングのトライアスロンなので、どうしても、鉄人とか、私の場合も鉄女などと形容されますよね。でも、五輪競技ならば、アレ?と思うくらい早く終わりますから(五輪ディスタンスはスイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの51.5キロ)。むしろ、鉄人、と呼ばれたくないんです。もっと手軽で楽しいものですし、私は、短い時間で3種目プラス、トランジションのような面白い体験も4つを楽しめる贅沢な競技、と思っているのですがどうでしょうか。
――そんな競技はそうありませんね。
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