川内優輝インタビュー(後編)
寄り道も楽しむ
―小学校で走り始めたんですね。
川内 母とのタイムトライアルが日課でした。雨なら休みなんですが、強風でも何でも絶対に走らなくてはならず、町に響く夕焼け小焼けのチャイムが練習集合の合図。厳しかったですよ。走るといえば全力疾走しか知らず、そもそもジョギングっていう単語があるのをしばらく知りませんでしたからね。全力でゴールして、倒れて泣いて、その繰り返しでした。今もあの頃の体験が、体に染み付いているのかもしれません。
―大変なスパルタ。几帳面そうですから日記などもつけているのでは?
川内 その頃から、メニュー、体調、どう思ったか、などを日記風に毎日ノートに書き留めてきました。もう十数冊になりますか。2月の東京では、レース中、一瞬守りに入ってしまった、と反省を書き込んでいますね。
―趣味はランニングでしょうか?
川内 大学で進路を考えるとき、実は観光庁も選択肢としていました。旅行が大好きで、子どもの頃は、よく駅に置いてある観光パンフレット、あれをタダでもらえるのがうれしくて集めては読んで、どこへ行こうかと想像していた。ですから今、市民マラソンに出場できることは、私の好きな観光とランニングの両方を一緒に味わえる、これ以上ない趣味でもあるんです。走って温泉に入って、美味いものを食べる。だからずっと楽しんで走って来られたんでしょう。私は、海派でなく断然山派。那須(栃木)のような温泉が好きです。将来の夢は、世界各国の市民マラソンでも観光とレースを楽しむことですね。
―所属も埼玉県庁になられた。
川内 地元を愛する気持ちが地域振興のベースですし、韓国では世界に埼玉をアピールしないと。それには、入賞争いをしないと話になりません。
―どんなレースプランですか。
川内 東京では、後半、最後に日本人トップに立った時点で目標だった二時間十分を切って入賞できることが分かり、守りに入ってしまいました。あそこで弱気にならず、もっと攻めて行けば入賞に届くはずです。それと、何度か一緒に走ったアフリカ勢は確かにスピードはありますが、あれ?ここで諦めちゃうんだと、思うこともよくある。苦しい中での粘りは、日本人の方が断然優れているので、コンディションを崩さないように、今まで通り自分なりの調整をしていきます。
―諦めては、市民ランナーの星がすたる。
川内 いつも理解して支援してくださる職場、応援してくれる方々に喜んでもらえるのも市民ランナーのやりがいです。もっとも最近は、「あんな記録を出して、川内なんてもう市民ランナーじゃないよなっ」なんて言われることもあるんですよ。でも私は、プロではなく、公務員の市民ランナーであることを誇りに国際舞台に臨みます。
どしゃぶりの中でも、市民ランナーと同じように公園内で着替えて帰る
(撮影・増島みどり)
増島みどりコラム「アマチュアの痛快さとある種の恐ろしさ」
6月、隠岐の島(島根)で50kmウルトラマラソンを走る。なぜわざわざ隠岐の島で異例の調整を?と聞いた。
「父の出身地で先祖代々の墓があります。ぜひ、練習と墓参りを兼ねてと思いまして」
先祖の墓参りと練習をセットにしてレースを選ぶ。こんな傑作な選択は、無駄を省いた実業団方式の中では決して生まれない。同時に、固定観念に縛られないこの発想こそ、川内の魅力であり、強みであり、アマの「ある種の恐ろしさ」なのだろう。
数々の「川内オリジナル」の取材をし終えたとき、自分の中にあったあちこちの「凝り」までスッと消えたようで、実にそう快だった。
川内 優輝(かわうち・ゆうき)
1987年3月5日生まれ。東京都出身。
学習院大学卒業後、埼玉県庁に入庁。現在は埼玉県立春日部高等学校定時制に埼玉県職員として配属されている。
2011年2月27日に行われた「東京マラソン2011」では、2時間8分37秒で日本人トップとなる3位に入り、世界陸上競技選手権大会のマラソン日本代表に内定した。172cm、59kg。
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