スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2011年5月31日 (火)

川内優輝インタビュー(前編)

今夏、韓国・大邱で行われる世界陸上男子マラソンで入賞を狙う川内優輝(24=埼玉県庁)は、自らを「落ちこぼれ」と表現する。全国高校駅伝も出られず、強豪大学にも誘われず、実業団にも入れなかった。しかしそんな市民ランナーが世界大会にたどりついた道には、勇気とユーモアがあふれている。

(取材・文:スポーツライター 増島みどり)

「駒沢公園のランニングコースゼロ地点で」と指定され、川内優輝(24=埼玉県庁)と待ち合わせをしたのは、土曜の距離走の日だった。春日部高校定時制主事としての仕事があるため、土曜日を距離走、水曜日はスピード練習にあてる。どしゃぶりの中、着替えも公園内で済ませ、大きな荷物を抱えて一人、電車で移動する。6月19日には、隠岐の島ウルトラマラソンに出場する予定だ。

曲がりくねった道を走る

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土曜日の距離練習を行う駒沢公園で取材(撮影・増島みどり)

―会見ではいつも挫折とか、落ちこぼれという言葉を使われますね。

川内 高校では5000m 14分台を目指し、駅伝でも埼玉県代表で全国を走れば、箱根駅伝の強豪校からスカウトされ、と、私なりの、陸上の夢は抱いていたんです。でも2年後半から腸けいじん帯を傷め、腰を悪くし、走れなくなり、もう痛いのはイヤだ、楽しく走ろうと思うようになりましたね。最大の挫折です。

―高校の同じ学年には、名門の強豪大学にスカウトされた選手もいましたね。

川内 ええ、彼のスピードや才能が、本当にうらやましかった。自分は高校の後半は、ケガでほとんど走れませんでしたし、才能もなかった。学習院で箱根駅伝に出られましたが、早い段階ではやはり実業団の誘いはありませんでした。昨年までは監督にも指導を受け、東京マラソンで4位など結果も出ていたのですが、自分の理想とのギャップに悩むようになっていました。さらに昨夏は調子が上がらず、おまけに派手に転倒までして、これではもうダメだと、指導者からも離れて完全に独立することにしたんです。

―派手な転倒が転機に?

川内 振り返ると、物は考えようなのだと思います。ケガをしたから、無理なく楽しく走ろうと思い、強豪校ではないから自分なりに工夫しようとし、市民ランナーになれば時間をやり繰りしながら集中してトレーニングしなくてはいけない。エリートの道を外れたことが、自分にとって発想の転換になったのかもしれません。私は、走るということが、実業団か市民ランナーかの二者択一ではないというその方法論を、見せたいんです。市民ランナーの存在感を示す気持ちもありますが、自分に合った形さえ見つければ、競技を続けられることを証明したいのです。

―実業団の選手よりも、川内選手のほうに強い野心があるように感じられます。

川内 野心といえるかどうか分かりませんが、自分が諦めないことによって、眠っている多くの才能がまた生きるんじゃないか、人にはそれぞれ合うやり方がある、それを自由に選択できるから走ることは楽しいんじゃないか、と。誰にも頼まれていないんですが、それを伝える変な使命感みたいなものが、世界陸上の代表になって、より強くなっています。高校時代の友人は、強豪大学で陸上を辞めてしまった。先日久しぶりに会い、また走れよ、と声をかけると黙って笑っていた。エリートの道を落ちこぼれた私が走り続け、彼が辞めている。本当にもったいないんです。

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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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