小倉純二会長インタビュー(1)
―背番号17の日本代表―
代表にとって今年最後の試合となった日韓戦が行われた10月12日、仁川の空港から小倉会長が出迎えの現代自動車に乗って向った先は、ソウルの超高級住宅街だった。大韓サッカー協会の名誉会長で、FIFAの理事でもある鄭夢準氏(副会長)から、「麺が大好物の小倉さんに、特製冷麺を作りましょう」と、異例ともいえる自宅でのランチに招待を受けていたからだった。
FIFAの選挙や、互いに立候補している2022年W杯招致活動の情報交換など、鄭氏の厚遇と友好の背景には様々な理由があるだろう。しかし、日本だけではなく、アジア全体の利益、地位向上を常に念頭に置いて活動し、真面目に、誠実に仕事を積み重ねてきた結果、FIFA内で絶大な信頼を集め、慕われる小倉に、鄭氏が自宅での「冷麺会談」で敬意を表したことに違いはない。
2010年W杯南ア大会でも、こんなことがあった。ポートエリザベス会場の責任者に就任すると、「是非一緒に働きたい」と志願するスタッフが集結。3週間もの長丁場を乗り切るには連帯感が大切、とする方針から、朝、夕のミーティングを毎日行った。朝礼など、ともすれば、日本人的ビジネス習慣として外国人には馴染まないこともある。ところが、「小倉流組織掌握法」に、アフリカ人スタッフを含む10カ国もの多国籍軍は一致団結し、組織作り、規律、事務処理のノウハウを財産として各国に持ち帰ったという。
歴代、ピッチのスーパースターたちが受賞する「FIFA功労賞」を、2010年、競技歴のない、事務畑の人物が異例の受賞を果した理由は、こんなところにある。
W杯のようなビッグイベントで、「一緒に働き、勉強したい」と、諸外国から信頼を寄せられる。選手ではなかった小倉が築いた、国際政治における日本の「ポジション」である。わずか十数年前「W杯組織委員会の、しかも責任者になるような仲間には、とてもじゃないが入れてもらえなかった」と、振り返る。
FIFAの理事24人は、機密漏れを防ぐために名前を伏せて書類のやり取りを行う慣例だ。就任順で付けられ、最下位から昇格してきた背番号17を背負って、小倉が「日本代表」として戦うのも、定年のためあとわずかとなる。FIFA理事を引き継ぐ田嶋幸三・日本協会副会長の後ろ盾として、W杯招致委員会委員長として、来年以降目指す日本協会の公益法人化のため、きょうも、海外、国内を飛び回る激務をこなす。
誠実さとフットワーク、タフネスを武器に。