スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2010年5月21日 (金)

柳沢敦インタビュー(3)「GOOOOOOOAL!!~FWという生き方~」

できる限り長く、偉大な先輩を越えるゴールを記録したい

―失礼ながら100ゴールは、イメージしていませんでした。実は8年前のインタビューがあるんですね、鹿島時代の。テープ起こしを読んだら、『FWはゴールを奪うことだけが、仕事ではない』『ゴールが全て、ではないんです』それと、『僕は、頑固ですから』が十回くらい。

柳沢 頑固ですねぇ。

―相当。ですから、Jリーグ記録のゴール数をあげるとはとても思えなかった。

柳沢 自分がそういう考えを持っていることは知られていたわけですから、もちろん批判もありますし、W杯があって、移籍もして、本当に色々なことがあった中でたどりついたゴールだったので余計にうれしかった。自分がずっと憧れていた先輩たちに並べたなんて、素直に驚きもありますけれど。

―それでも、頑固だという柳沢選手の記事を、私は「岩のように、水のように」と、どんな状況にも、相手にもまるで水のようにサラリと、柔軟性を持って応じてしまう、とも書いているんです。「水」の部分もまた100ゴールを生んだのではないでしょうか。

柳沢 W杯が終って鹿島でプレーをしながら、このままではいけない、何か思い切って自分を変える以外、何も変わらないんじゃないか、と思いました。そういうときに京都に移籍し、もう一度、選手としても、FWとしても、新しいものに取り組める、そんな新鮮な気持ちを与えられたのかもしれません。

―ドイツから4年が経ちましたね。今も忘れることのできない、例えば夢に見てしまうほど、体に染み付いているようなプレーはありますか?

柳沢 あのシュートですね。さすがに夢に見ることはありませんが、体に残っている。

―加地選手からの折り返しを、右足のアウトで。

柳沢 加地があの角度でシュートすれば、ゴールキーパーは必ず弾くだろう、と。そのこぼれ球に飛び込むために、ゴールキーパーめがけて走っていました。

―ビデオを見ましたか。

柳沢 ドイツでの3試合のビデオは4年間、見ていないんです。手元にはあるんですよ。でも見ることができない。考えないようにしているというか、移籍して、京都でのプレーに集中することで、それを忘れよう、紛らわせようとしているのかもしれませんね。あのシュートの感覚は今でも体に残っていて・・・正直、4年経った今でも、消化しきれていないんです。

―そんなに率直に答えられるとは思いませんでした。素人に言われたくはないでしょうけれど、もっと簡単なシュートの選択は?

柳沢 高校生で初めてジーコに会ったとき、こう言われたんです。「サイドから来たボールは、簡単にインサイドでシュートする。それを忘れないように」と。なのに、信頼して使ってくれたその人の前で、まさにそれをしなくてはいけない瞬間、自分はできなかった。それと、あのシュートばかりではなく、ほかにも、入れることのできなかったゴールはありましたから。それが悔しいし、何も返せなかった。

―ジーコは何か?

柳沢 いえ、ジーコは試合が終った後も、W杯から帰るときも、何も言わなかった。多分、気を使ってくれたのだと。いつか、あのビデオをきちんと見たいし、見なくちゃいけないと思っています。

―02年、06年と代表に選ばれ、今回は観るほうになりましたね。

柳沢 とにかく応援している。W杯の、あの特別な重圧がどんなものかは、ピッチに立って実際にプレーをしてみて初めて分かる。甘くはない。相手のDFも、強い以上に、もの凄く落ち着いていて大きく構える。だから逆に焦ってしまうようなところがあるんです。もちろん、ここまで届くんだといった足の長さなどフィジカルは感じますが、それ以上に、彼らは落ち着いている。自分には、いい思い出がない場所ですが、それだけ難しいし、だからこそ自分を試すことのできる大舞台だということです。今回のFWは、みんな初出場で、ただ一人それを知っている玉田が、先頭に立って引っ張ってくれるでしょう。ブラジル戦でゴールしているんだから、彼はそれを知って、越えたFWです。

―サッカーには同じ状況なんて二度とありませんが、もし同じ状況でパスが来たら?

柳沢 あのシュートを、確実に入れることができるFWになっていたいと思う。

―100ゴール達成で、FWとしての欲と言いますか、信念は相変らずの頑固だとしても、何か変わった点は感じますか?

柳沢 自分は今まで、いつも1番のその下、2番であるとか、ひとりで記録に残るような仕事はしてこなかった。でも、強く意識したわけではなくて、自分の憧れだった、カズさんやゴンさんのようなFWにこうやって記録で追いつけたことで、自分も1番になりたい、数字として記録に残る仕事にも挑戦したいと思わせてくれた。

―カズの100ゴールも京都でしたね。

柳沢 そうなんですか?。最初に話したように、サッカーにおいて、ゴールは魔法なんですね。その魔法がかけられる仕事は、魅力にあふれている。昔、カズさんに聞いたんです。いつまでやるんですか、って。カズさんは、コンディションが維持でき、オファーがあって、何よりも情熱がある限りやる、と。それに尽きるんですね。自分も、そう考えてFWを続けていきたいと今は強く思っています。そして、続ける限り、ゴンさんのゴールを抜きたい。

―157ですね。でもW杯の悔しさは、やはりW杯でしか晴らせないのだと思います。次も狙って欲しい。

柳沢 ブラジルですか・・・。

―最後に、先ほど後で、と言った質問、柳沢選手にとってFWとはどんな仕事ですか。

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柳沢 すみません。考えていたんですが、やっぱり出てきませんでした。いつか、中山さんのゴールを抜いたときに聞いてもらえませんか。きちんと答えられるようにしますから。

―答えは持ち越し、何年か後にもう一度。楽しみにしています。


柳沢 敦(やなぎさわ・あつし)

1977年5月27日生まれ 富山県射水郡小杉町(現射水市)出身
富山第一高校(富山県)卒業後、1996年に鹿島アントラーズに入団。イタリアへの海外移籍、鹿島復帰を経て、2008年には京都へ移籍。この5月には史上6人目のJリーグ通算100ゴールを達成した。ポジションはFW。Jリーグ通算100得点。国際Aマッチ通算17得点。177センチ、75キロ。


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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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