柳沢敦インタビュー(2)「GOOOOOOOAL!!~FWという生き方~」
封印したままの、一本のシュート
『ドイツでの3試合のビデオは4年間、見ていないんです。手元にはあるんですよ。でも見ることができない。考えないようにしているというか、移籍して、京都でのプレーに集中することで、それを忘れよう、紛らわせようとしているのかもしれませんね。あのシュートの感覚は今でも体に残っていて・・・正直、4年経った今でも、消化しきれていないんです』
クラブハウス周辺に欅(けやき)の葉が青々と繁り、心地良い風が吹き抜けるまぶしい初夏の日曜、目の前をゆっくりと移動していく柳沢敦の背中を、ずっと眺めていた。
腰の高さのフェンス一枚で作られている「ファンゾーン」には、家族がいて、サッカー少年も女性ファンもいる。京都のキャプテンは、そのフェンス越し、一人一人に笑いかけ、握手をし、サイン、写真撮影に応じ、雑談までする。4日に第一子が誕生した充実感はあるだろう。しかしその後ろ姿を見ながら、こんなにもリラックスし、大きく見える彼の背中は、記憶にあるだろうかと考えた。
同じように、腰の高さのフェンスで仕切られた代表での「取材ゾーン」を通過する彼は、いつも少し早足で歩いていた。「できれば話し掛けないで欲しい」―背中はそう発しているようで。そして「あの日」、その背中が、小さく丸くなっていたのを覚えている。
06年6月18日、ドイツ・ニュルンベルグで行われたW杯クロアチア戦後半6分、この試合で負傷から復帰した加地亮は、右サイドでビッグチャンスを作った。シュートも打てる。しかし、中央を走り込んできた柳沢へのパスを選ぶ。そのためGKも完全に裏をかかれ、柳沢はフリーに。FWは右足のアウトでシュートを放ち、ボールは力なく、ゴール右に反れた。
高校時代から彼を高く評価し、信頼を寄せていたジーコ監督はベンチで頭を抱え、やがて、悲しそうな顔で天を仰ぐ。
「あんな簡単なシュート、少年サッカーでも入れられる」
「シンプルにインサイドで蹴る、なぜそれができなかったんだ」
「引き分けではなく、勝てた試合だった」
FWとして当然の重圧とW杯ゆえの凄まじい批判。13番の背中は、それらに押しつぶされそうで、萎縮しているようだった。
この4年間、プロとして生まれ育った鹿島を出て京都に移籍し、Jリーグで7年ぶりのベストイレブンに返り咲き、今年は、彼が敬愛してやまないカズ、中山雅史、藤田俊哉に並ぶJリーグ100ゴールをあげた。
FWインタビューの最終回を、南ア大会の代表ではないFWに依頼した訳は、彼が4年もの年月をかけ、重く、疼く(うずく)ような塊を、体の中で一滴ずつ「ろ過」した話を、今なら本当の意味で、聞けるかもしれないと考えたからだった。W杯のピッチに立ちながら消えかけていた話は、今だからこそ大きく響くのではないか、と思ったからだった。
彼の答えは、そんな想像よりもはるかに率直で、繊細で、ポジティブで重かった。
長いファンサービスを終えると、リラックスし、大きな背中がようやく向き直った。シャイな笑顔が、こちらに近づいてくる。
「本当に、お久しぶりです」
握手には力がこもり、とても温かかった。
答えだけではない。彼自身もまた、4年前よりはるかに率直で、繊細で、ポジティブで強いフットボーラーになっているからこそ。