スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2010年4月 1日 (木)

興梠慎三インタビュー(2)「GOOOOOOOAL!!~FWという生き方~」

もし、あのとき電話に出ていなかったら・・

 日本代表に選ばれる選手で、高校時代、サッカーを辞めてしまった経験を持つ選手など、そうは見つからないだろうと思う。そもそも、中学時代からサッカーに強い思い入れがあったわけでもなければ、プロになろうと真剣に考えたことさえなかった、とチャンピオンチームのFWは屈託なく笑う。「原風景」は、興梠というFWの根っこをよく現しているようだ。

 中学三年、一般入試に落ち高校進学を悩んでいたとき、県下の名門、宮崎・鵬翔高校の松崎博美監督からの電話を受けた。

 「高校、どうするんだ?」

 「試験落ちちゃって・・・決めてません」

 「サッカーをやるなら、まだ推薦枠が取れるぞ。サッカー部に入らんか」

 浪人は困る。だから、「ハイ、やります」と即答したが、実際に入部した興梠にサッカーの魅力はほとんど分からなかった。厳しい練習、上下関係に耐え切れず、夏には練習に行くのを辞めた。同時に、学校からもエスケープ。しかし、松崎監督は諦めなかった。

 自宅であてもなくブラブラていると、毎日二度は自宅の電話が鳴る。家族が申し訳なさそうに応答しても電話には出ない。しかし、それが1ヶ月も続いたとき、電話の横を通り過ぎる瞬間、持ち前の反射神経が受話器を取り上げてしまった。「ヤッベエ」と、つぶやいたときには、すでに説得が始まっていた。

 説得の内容が、将来のため、とか、才能があるんだから、といった漠然としたものではなく、練習試合があるから来てくれ、とストレートなものだったことを覚えている。分かりました、と受話器を置いて翌日練習に行くと、1ヶ月も休んでいたのに起用され、1ヶ月もボールを蹴っていないのに決勝ゴールを奪って勝ってしまった。試合後、着替えをしながら、ロッカーで仲間に言われた。

「先生があんなに必死になって誰かを引きとめるなんて、今まで見たことないぞ。先生の気持ちに応えろよ」 

何となくサッカーに戻ったこの日、自身も全く気が付かないうちに舵が大きく切られていたのかもしれない。

小学校5年、初めて試合に出場した日、いきなりハットトリックで、今度は、1ヶ月もサボったのに決勝ゴール。だから1点の重みなんて考えたこともなかったが、高校2年の選手権が自分の中に眠っていたゴールへの執着心を揺り動かした。一回戦の相手は石川の星陵。2点奪ったが3点取られて敗れた。1点の重み、点を取っても勝てなかった悔しさを噛み締め、初めて泣きながら、もっと上を目指そうと思った。

放っておくとどこかに行ってしまいそうな危うさや欲の無さと、エリア内での天性のゴール感覚。「努力嫌い」と自己分析しながら、鹿島で30歳でもスタメンでいることが目標、と話す謙虚さ。未完成のアンバランスが、若きゴールゲッターの圧倒的な魅力だろう。自身が選ぶベストゴールは、昨年11月、3連覇を決定付けたG大阪戦での1点目。感性でもテクニックでもなくて、強い気持ちで奪ったゴールだったから、と。

選手権で敗れた星陵には本田圭佑がいた。

「おっかしいなあ、あん時はオレのほうがずっと上手かったのに、いつの間にか抜かれちゃって、今はこーんなに開いちゃった」

そう言いながら、また屈託なく笑う。インタビュー中、ほとんど笑顔で。


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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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