鄭大世インタビュー(2)「GOOOOOOOAL!!~FWという生き方~」
一筋の光としてのゴール
わずか10歳の少年のプレーに誰もがあ然とした訳は、年間100ゴールを奪っていた、そのずば抜けた得点感覚だけではなかったようだ。愛知朝鮮学校の初級時代、名古屋グランパスのジュニアチームと6人同士の試合をした。注目されること、ゴールを奪うこと、何より勝つことがサッカーなのだと信じて疑わない少年は、1点でも多くゴールをものにしたかった。そのためには、ボールを触っている時間が1秒でも長く欲しい。味方が回しているパスが自分に来るまで待つことさえもじれったい、そう感じたとき、少年はついに仲間にスライディングをしてそのボールを奪うと、自らゴールまで運んでしまった。
テセはそんなエピソードを、自ら笑いながら明かす。
「誰がどう見たって、オレをFWにしたでしょうね。自分のどこを切ってもFWです」
父は日本生まれの在日コリアン2世で韓国籍、母は日本生まれの在日2世で朝鮮籍。日本の法律では、父親の国籍に従うため、テセも韓国籍である。しかし朝鮮学校で、大学まで教育を受けており、北朝鮮のサッカー代表になる夢のためにパスポートを取得した。
日本の大学でプレーできれば、と受験もした。最後は、朝鮮大学体育学部に所属しながら、東京都大学サッカーリーグでプレーをしよう、いつか、そこから初のJリーガーにのし上がって見せる、と決めたものの、その舞台は、大学3部リーグである。同好会レベルの意識で参加する者、勝敗なんて気にも留めない者とのサッカー。何より辛いのは、「誰も見ていない」ことである。
在日としても、サッカー選手としても「マイノリティ(少数派)」だったことは、その分だけ、いつでも、どこでも、誰かに自分の存在意義を訴え続けなくてはならないという渇望を生んだ。そうでなければ、誰も目を向けてくれない、声をかけられない。彼が生涯奪ってきたゴールの数は、その叫びに等しい。少なくてもテセにとってのゴールは、喜びや楽しみなどといった甘く、平和的な響きのためにあるわけではなかった。
将来も、何も見えない3部リーグという暗がりで生き残るために、自分はここにいるのだ、見てくれ、と誰かに気が付かせ、注目させるために、ゴールはまるで自分に当てるスポットライトのような「一筋の光」だった。
インタビュー中何度も、「相手に襲いかかる」「たとえゴールできなくても相手に爪跡、傷跡を残す、それがFW」と繰り返した。07年8月のG大阪戦、DFラインからのロングボールに空中戦で競り勝って、一人をなぎ倒し、こぼれたボールを拾う際、今度はガンバDF二人とぶつかり二人も倒してゴールを奪った。相手に襲いかかり、そして倒し、ゴールだけではない深い傷跡をも残した。理想ではないが、印象に残る好きなゴールだという。
今季、第8節を終って(4月25日)得点ランキングは首位タイ(5点)。暗闇の怖さ、苦しさを知るストライカーは、もはやスポットライトが十分に当る道を歩き始めたのだろう。
モンブランを、笑顔で頬張りながら。