スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2010年3月25日 (木)

玉田圭司インタビュー(3)「GOOOOOOOAL!!~FWという生き方~」

FWとは、期待に応えるための仕事

―子供の頃の夢をかなえるなんてなかなかできませんね。

玉田 全く覚えていなかった。ドイツ戦が終ってずっと経って友だちに教えられて、本当か、って笑ってしまった。

―どんな小学生でしたか。

玉田 目立つこと、注目されることが大好きだったし、ホントに負けず嫌い。1年生のとき、5歳上の兄貴(俊之さん)を見てサッカーを始めたんだけれど、1年生にとって6年生はほとんど大人だから、本当は一緒になんてできないんだろうけれど、兄貴たちにも負けたくないって必死で追いかけていた。

―原点でしょうか。その後のキャリアでも、フィジカルの壁はあったと思いますが、それでも1年生が6年生に勝とうとした頃を思えば・・。

玉田 いい経験だったかもしれない。

―ブラジル戦のゴールを、理想のゴールのひとつに選んでおられますが。

玉田 日本サッカー界にとって、選手にもサポーターにとっても、いい結果で終わった試合じゃなかったし、喜ぶ、という感情ではないけれど、あれだけの舞台でゴールを決められたことは自信になった。攻撃全体のイメージがちゃんとある中でつないで、自分も絡んで、裏を取るスピードとタイミングも合って、最後は左足で狙ったシュートと、理想のゴールでもあり、自分らしさ、個性を全部出せたことも何かを与えてくれた。ジーコに言われたことは特になかったけれど、あのブラジル戦のゴールが色々なものを教えてくれたと思っている。

―あの後4失点。

玉田 明らかに流していたDFの目の色が変わって本気になった。体の当て方も、玉際も、それまでの遊びを入れた感覚とはまるで違ってガツガツきたからね。ジーコのときは、ハンガリー、チェコ、イングランド、ギリシャ、と強豪、と言われる国と戦えて、彼らの本気を肌で知ったのが大きかった。それと、勝てなかったけれど、あの代表の、レベルの高さは練習でも凄いものがあったと思っている。

―代表復帰までにほぼ2年要しましたね。W杯を諦めたことは?

玉田 クラブで出られないんだから仕方ないよね。

―では、腐りかけたことは?

玉田 ムッとすることはあったし、ふて腐れたり、何かに八つ当たりしたくなるときもあった。でも、切り替える。翌日には後を引かない、忘れてしまうことにしている。寝て忘れることもあるし、テレビで特に好きなリーガ(エスパニョーラ)を見ていると、サッカーが楽しいって純粋に思えてくる。そうすると腐っているより自分の力を認めさせなくちゃ、と切り替えられる。AB型だから。努力は人に見せないタイプ。

―周りも復帰を願っていました。

玉田 そうだね。みんな、言葉で、態度で「期待している」と示してくれた。誰よりテクニックのあるストイコビッチ監督が、自分を「上手い」と口に出してくれ、久米さん(GM)も、岡田監督だって再生して欲しいと期待しているんだぞ、頑張れ、といつも盛り立ててくれた。代表に戻ったとき、メンバーはほとんど変わっていて最初は凄く緊張したんだ。そして、戻って満足していたらすぐ落とされてしまう緊張感もあった。そういう緊張感を常に味わっている中で、もう一度W杯に行きたい、と強く思うようになったかな。

―出場もできない、ケガもする。それでもここまでたどり着いた理由は何でしょう。

玉田 今もまだ候補の一人だけれどね。でも、いつもこう言い聞かせている。オレは誰にも負けていないんだ、と。他人が言うことなんて気にしないし、報道も見ない。自分の周りで自分を見て、支えてくれている人たちが言うこと、信念についていくことが結果につながるんだと思っているから。

―リーガを見るのが好きだと。ではヒーローは?

玉田 ラウドルップが一番印象的。初めて意識して海外のサッカーを一生懸命見たのは、92年の欧州選手権だったから、あの時のラウドルップ(ミカエル、デンマーク代表)に強烈な印象がある。大好きだ。

―バルセロナでもクライフ監督の下で4連覇していますよね。リーガが好きですか。

玉田 バルサは名古屋と同じ4―3―3でやっているというのもあるし、アーセナルも同じでよく見ている。色々なサッカーでイメージを持つのは、とても大切。サッカーを心から楽しむ感覚も忘れたくないからね。

―FWとは、玉田選手にとってどういう存在ですか。

玉田 期待に応える仕事かな。注目を浴びる分、批判も非難もされて、1点が取れない苦しみもある。でも、それで自分が強くなることもできる。それにFWには自由がある。ディフェンスやキーパーはそうはいかないでしょう。自分が主導権を持っている。それもやりがいだし、好きなところでもある。

―先ほどの、ケチャップのビン。

玉田 レアルに入団して間もない頃、アルゼンチンFWのイグアインに、ファン・ニステルローイが気負わないように、と助言した、って、この前記事で読んだ。ビンを振って、たたかれるときが、期待されるときってことなんだろうね。

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―昨年ご結婚されましたね。いい面も?

玉田 今までは、家と練習場と競技場の繰り返しだったけれど、新しい気分転換も加わった。例えば奥さんの買い物に付き合ってスーパーマーケットに行き、カゴを押してる。何てことない時間だけれど、楽しいし、気持ちに余裕を与えてくれているのかもしれない。食事、栄養も考えてもらって有難いよ。

―W杯経験を持つFWの候補は玉田選手。2度目の夢をかなえたいと思いますか?

玉田 オレは、チームと監督を信じてやるだけ。4年前は、ゴールしても勝利につながらなかったんだから喜びではなかった。今度は、両方を味わえるように。


玉田圭司(たまだ・けいじ)

1980年4月11日生まれ 千葉県浦安市出身
習志野市立習志野高等学校卒業後、1999年に柏レイソルに入団。2006年に名古屋グランパスエイトに入団し現在に至る。ポジションはFW。Jリーグ通算53得点。国際Aマッチ通算16得点。173cm、67kg。


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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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