スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2010年3月25日 (木)

玉田圭司インタビュー(2)「GOOOOOOOAL!!~FWという生き方~」

オレは、誰にも負けていない。復活したFWの、魂の在りか

 「これさぁ、覚えてるだろう?」

 「何だっけ」

 「お前、あんときの夢、本当に叶えたなんてさ」

 玉田には、幼なじみが何を言っているのか分からなかった。キョトンとしていると、相手も同じようにキョトンとしながら、懐かしい卒業文集を取り出してめくり始めた。

 「ホラ、ここだよ、ここ・・・」

 友人が力を込めて開いたページは、いつものあの特集。将来の夢、と書かれたページをじっと見るのはどこかこそばゆいけれど、友人の指先をのぞくと自分の名前がある。

 「将来、ワールドカップに出て点を取る」

 そんな夢を書いていたことに驚いたのは、玉田のほうだった。第一、本人も知らないうちに夢が叶って「しまっていた」だなんて、実に間の抜けた話である。

 「忘れていたよ、全く。こんなことを書いたなんて、覚えていなかった」

 「じゃあ、あのブラジル戦は何だったんだよ・・・」

 間を置いて、幼なじみと、吹き出した。心の底から笑いながら、体の奥のほうで、ドルトムントのピッチで感じた熱いものが、またこみ上げてくる気がした。

忘れかけていた、何かが。

インタビュー中、玉田は、まるで秘密を明かす少年のように声のトーンを変え、こんな話を教えてくれた。原稿上、こんなに着地が見事に決まるエピソードも珍しい。もちろん、事前に知ってこそだが。

「そんなにオイシイ話、どうして4年前に教えてくれなかったの?」と訊くと、「オレだって、ワールドカップの後になって友だちに聞いて初めて分かったんだからしようがないよ」と、笑う。

06年6月22日、日本代表は2戦終って勝ち点1と追い込まれ、ブラジル戦での奇跡、と呼ぶのもはばかれるほどの可能性にかけてドルトムントのピッチに立った。

Goal_tamada

先発した玉田は、キャリアの全てをぶつけるかのような中田英寿の強いパスに何度も走り、再三ゴール前へ飛び込む。前半34分、加地亮が右サイド、ハーフライン近くで中田へ渡したパスに、玉田は一度顔を出し、これを右サイドの稲本潤一へはたく。パスは1本つながれるごとにスピードアップしリズムを刻む。稲本は転倒しながら逆サイドの三都主へ振り、左アウトでDFラインをすり抜けペナルティエリアに入った玉田へパス。玉田は、ボールを受ける直前、シュートを打つ瞬間、DFとGKの位置を2度確認して左足でシュート。先制点を奪った。

ゴールに絡む働きをし、自らがゴールを奪う。勝利は手にできなかったが、忘れられないゴールだと言う。そして本当は、小学校から抱いた夢が叶った瞬間でもあったが、そんなことは忘れていたし、あの日、ゴールの後に噛み締めた失望感を思えば、たとえ覚えていたとしても喜べなかっただろう。

W杯後も、06年年頭に移籍した名古屋では出場機会がなくなり、当然のことながら代表からも遠ざかった。W杯もかすみ始めたが、それでもいつも自分に言い聞かせて顔を上げ、ボールを追った。

「オレは、絶対誰にも負けていない。腐るな、認めさせるまでやればいいんだ、と思い続けていた」FWの魂の在りか。

友人から、自分の夢を聞かされたとき、もう一度、夢を叶えたい、とぼんやり思った。ストイコビッチ監督に「玉田のテクニックは最高だ」と言われたとき、名古屋で活躍し代表に戻りたい、と思った。1年8ヶ月ぶりに岡田監督によって代表に呼ばれたときに強く思った。「もう一度W杯に行く」と。


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増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

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