スポーツライター増島みどりのザ・スタジアム

2023年9月27日 (水)

小野伸二引退発表に 「やっと(年齢が)背番号に追いついたな・・・」J30周年の今年開幕前、聞いた言葉の本当の意味・・・

 Jリーグ30周年の幕開けを告げる今年2月のキックオフカンファレンス(都内)で、「J1最年長の登録選手になったようですが・・・」と、小野に質問した際、笑ってこう答えた。「やっと(年齢が)背番号に追い付いたな、って。最年長という気持ちよりも、(56歳の)三浦知良選手という尊敬すべき選手がまだやっているので、(年齢が)一番上という気持ちにはなっていない」と、笑顔と同時に真剣な表情と両方を浮かべ、渡されたフリップに今年の目標を「楽しむ」と書き込んだ。
 会見が終わってあいさつをしようと舞台裏に顔を出すと、わざわざ戻って来て「ありがとね、気を使って質問してもらっちゃって・・・また来てね」と言われた。気なんか使うはずもなく、握手して別れた。27日、44歳になった日の引退発表に2月に「やっと・・・追い付いた」と答えた真意があったのだ、と、今さらながら気付かされた。

 14年、J2だった札幌に移籍したのは34歳の時。オーストラリアのシドニー・ワンダラーズFCから2年ぶりにJリーグに復帰した年だった。J2の札幌で使用できる42~50番の中で「まだ誰もつけていない真っ白な気持ちでスタートしたい」と44番を自ら選択。もうひとつ「足して8になるので」と話していた。プロとなった浦和1年目が「28」で、2年目には「8」に。オランダ・フェイエノールトに移籍した際もシーズン「8」を背負った(04年~)。日本代表や清水では「18」と、いつも末広がりの縁起のよい「8」を背に、札幌でも「(4+4は)足すと8だから」と決めた。引退発表で「僕の相棒」と足について表現したが、「8」もいつでも一緒に、世界中で戦った大切な相棒だった。
 札幌からFC琉球に移籍し再び札幌へ。長いキャリアの中で「8」と「足」と「年齢」と相棒全員が「お疲れさま」と言ってくれた日がきょうだったのだろう。
 

 ナイジェリアで準優勝を果たしたFIFAワールドユースではキャプテンとして「黄金世代」を引っ張った。黄金世代にとどまらずその後、日本サッカーの世界への躍進の「キャプテン」でもあった。
 99年、シドニー五輪アジア予選で負ったひざの大けがについて「もしあれがなければ」とよく言われた。本人も「頭にイメージが湧いてこなくなった」と苦しいリハビリを表現している。しかし、あの大けがに限らず10回を超える手術、リハビリ、戦線離脱をしながらも身体中でサッカーの喜びを表現する姿を取材するたび、サッカーへの愛情、サッカーというスポーツへの観察眼、分析、支えてくれる人々への感謝、全てが深く、強くなっているのがよく分った。
 日本のW杯史上最年少の18歳でフランスW杯に出場。ジャマイカ戦で放ったシュートを20年後の2018年、「周りが全く見えていないからパスを選択できずにシュートを打った自分の視野の狭さにがっかりする。今なら、左サイドから上がっているのが見える」と、選手として、人間としての「視野」の奥深さを教えてくれた。
 次の2002年日韓大会は盲腸の手術をしたばかりの身体でピッチに立った
オランダに取材に行った時、車中とロッカーと自宅に辞書を置いて難解なオランダ語を習得した努力が認められ、「もっとも上手にオランダ語を話した外国人」に見事選出されたことを本当にうれしそうに話していた様子も忘れられない。サッカーとあの笑顔で周囲を魅了した。
 小野は10回を超える手術、本山雅志は腎臓の摘出、高原直泰はエコノミークラス症候群と、大けがや病を抱えながら40歳を過ぎてもチャレンジした。長く、個性的なキャリアを積んだ「黄金世代」が引退するJ30年になってしまった。つい最近話を聞いた本山は「サッカーを離れるたびに、もっともっとサッカーが好きになった。みんなもそうだと思う」と話していた。
 伸二たちなら、これからももっともっと、好きなサッカーを表現し続けてくれるはずだ。
そう思えば、少しは寂しさに耐えられそうだ。

 9月27日発表されたコメント
 皆さまに、ご報告があります。サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので、今シーズンを最後に、プロサッカー選手としての歩みを止めることを決めました。まだシーズン残り数試合ありますが、僕も試合に少しでも関われるように変わらず良い準備をしていきます。最後まで応援よろしくお願いします。小野伸二

記事全文を読む

2023年9月23日 (土)

なでしこジャパン W杯以来の公式戦でアルゼンチンに8-0 パリ五輪予選前最後の強化試合に

23日=北九州スタジアム(7265人)  なでしこジャパンが7月のW杯オーストラリア・ニュージーランド大会でベスト8に進出して以来となる公式戦に臨み、FIFAランキング31位でW杯では勝ち点1にとどまったアルゼンチンに8-0と圧勝した。なでしこは、W杯準々決勝でスウェーデンに敗れた際、中盤を支配されてしまった展開に「新たな選択肢として」(池田太監督)DFの熊谷紗希を一列前に配置するシステムでスタート。前半開始2分で田中美南が先制ゴールを奪うと、10分には長谷川唯がPKで2点目、25分に遠藤純のクロスから高橋はながヘディングで決め、39分には長谷川がゴールを決めて4-0で後半へ。後半スタートから地元出身の杉田妃和、植木理子を投入し攻撃の手を緩めることなく清家貴子、杉田、PKで植木、最後は清家がアディショナルタイムでゴールを決めて8-0とした。アルゼンチンは、母国を出発しフランクフルトから日本に向かう途中、アゼルバイジャンとアルメニアの紛争に巻き込まれる形で一度フランクフルトに引き返し、その後、コペンハーゲンに移動して羽田空港、北九州に到着。予定の到着よりも丸一日遅れて結局練習は前日1回のみで試合に臨むという気の毒な状況だった。試合後、なでしこの池田監督、熊谷主将、長谷川、杉田がヒーローインタビューを受けているすぐ横で、全員で肩を組み小さな円陣でポルタノバ監督が選手たちに大きな拍手を送っていた。
 なでしこジャパンは10月23日からウズベキスタンで行われるパリ五輪2次予選に臨む。ウズベキスタンのセントラル方式で、インド、ウズベキスタン、ベトナムの順で戦い、グループトップか2位(ほか2グループとの戦績になる)に入る4チームが3次予選(最終予選)に進出できる。五輪枠はわずか2か国。

記事全文を読む

2023年9月21日 (木)

浦和サポーターの暴徒化問題 新たに4人の無期限入場禁止処分を決定「調査は継続中」宮本専務理事 日本協会、Jリーグ合同で異例のメッセージを発表

21日=文京区・JFAハウス(日本サッカー協会) 日本サッカー協会(JFA)が理事会を行い、8月2日開催の天皇杯ラウンド16の名古屋グランパスvs浦和レッズ(8月2日、CSアセット港サッカー場)の試合後に発生した浦和サポーターの違反行為に関し、宮本専務理事は「画像など情報を追加し判定したうえで新たに4人に対して無期限の入場禁止処分を科した。今後も(調査は)継続される」と話し、現在もJFA内での調査は行われており、警察にも被害届けが出ているとの認識を示した。また、日本サッカー協会、Jリーグ、またJリーグ全60クラブで、今回の違反行為に対して異例ともいえる共同メッセージを始めて発表した。
(以下全文)

 JFAの司法機関(規律委員会、裁定委員会、不服申立委員会)は独立した機関であり、司法機関の決定についてわれわれは関与することはできません。極めて厳しい決定ではありますが、本日開催したJFA理事会およびJリーグ実行委員会で、日本サッカー界全体の問題として厳粛に受け止めることを確認しました。
 ファン・サポーターの声援や熱気によって生み出されるスタジアムの熱狂的な雰囲気は、チーム・選手の背中を後押しし、サッカーをより魅力的なものにするための重要な要素です。しかし、安全で楽しいはずのサッカー観戦環境が暴力や威嚇、破壊行為で侵されるようなことがあってはならず、日本サッカー界として今回のような違反行為を断固許すわけにはいきません。もし、こういった行為を起こす、あるいは繰り返す者がいた場合、一切の関係を断つ覚悟で健全なサッカー環境を構築してまいります。
 今回のような危険な状況を招いたことについて、浦和レッズをはじめとするクラブ、そしてサッカー界全体が真摯に受け止め、二度とこのような行為が起こらないよう断固とした姿勢で取り組んでいくことを覚悟です。
 繰り返しますが、われわれサッカー界は、老若男女の誰もが安心・安全にサッカーを楽しめる環境を広げるべく、強い使命感と責任感を持って取り組んでいく考えです。

公益財団法人日本サッカー協会
公益社団法人 日本プロサッカーリーグ
Jリーグ全60クラブ

記事全文を読む

バックナンバー

スポーツを読み、語り、楽しむサイト THE STADIUM

増島みどり プロフィール

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年、フリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。
98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞、「GK論」(講談社)、「彼女たちの42・195キロ」(文芸春秋)、「100年目のオリンピアンたち」(角川書店)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作も多数

最新記事

カテゴリー

スペシャルインタビュー「ロンドンで咲く-なでしこたちの挑戦」